聖書に以下の事を学ぶ。
「私たちの兄弟たち、色々な試練に出会うときはこの上ない喜びと思いなさい。信仰が試されることで忍耐が生じると、あなた方は知っています。あくまでも忍耐しなさい。そうすれば完全で申し分のなく、何一つかけたところのない人になります。」
「試練耐え忍ぶ人は幸いです。その人は適格者として認められ、神を愛する人々に約束された命の冠を頂くからです。」
まずは起業したら、試練ばかりだ。試練がないことはない、スムーズに行っている場合には、今後どこかで落とし穴があると思った方がいいのだが、人間、上手くいっているうちは、気づかない。知らぬうちに、見えない落とし穴が広がっていく。
起業したては、試練だらけの方がいい。その方が慎重になる。計画性も持つようになるし、熟慮もする。色々な人のアドバイスを聞く耳を持つ。自分のビジネスを究極的に客観化できる。つまり、顧客ニーズやタイミングを完全にとらえたサービスが少しづつだが出来上がっていく。さらにあらゆる失敗への耐性が付く。事業が拡大するに当たって、それはかならずや大きな力となる。
試練に忍耐を重なれば、上の文章でも言っている通り、「完全で申し分のなく、何一つかけたところのない人になる」。それは優れた経営者でもあり、優れたビジネスになるということを言っている。試練とそれを乗り越えた数だけ、あなたもあなたのビジネスも強くなる。そして流した涙の数だけ強くなれる。
若いうちの苦労は買ってでもしなさいと言われる。だから試練が来たら、ヘイカモーン位な気持ちで臨もう。結局、ビジネスの成功は、自分自身を信じ切れるかどうかである。信じ切れなくなった時点でリタイアして、サラリーマン生活に戻らざるを得なくなる。戻れればまだいいんだけど。
神様は中々意地悪で、自分を信じ切った奴だけ、成功させる。つまり、本当に信じ切っているかどうか試される。それが我々に与えられた試練というものだ。ゆさぶり攻撃をかけてくるのだ。それで自分を信じ切れなくなったら、ハイさようなら、となってしまう。
途中で半分自棄になってもいい。ヨブ(ヨブ記参照のこと)のように。そしてどこかで開き直ることだ。与えられた試練を乗り切ったとき、神様は、その人を適格者として認めて、冠を頂ける。ここで神様とは経営の成功法則のことであって、成功法則に合致するビジネスであれば、必ず成功を収めるのだ。試練とは成功法則からのズレに他ならない。そのズレに気づき、修正できれば、早い成功が訪れる。それゆえ、試練は最初のうちにまとめてあった方が、早く気づける(=成功する)というわけなのだ。
[教訓]
〇最初に試練が多ければ、反省材料も多く、慎重になれるからラッキーと思え。早くダメなところに気づけるから、改善力によっては、それだけ成功が早まる。