二つの巨大政治勢力が対立しているとき、一方において冷遇された者、あるいは冷遇されていると信じる者が、新天地を求めて亡命しようとするのは、むしろ当然である。その点、ラインハルトは、リューネブルクが自由惑星同盟から亡命してきたことを、それほど奇異とは考えなくなっていた。自分の才腕に自信を抱き、自分が不当に待遇されていると感じたとき、そこを脱出する道が存在するのであれば、扉を叩き破りたくもなるであろう。
(解説)
リューネブルクは自由惑星同盟からの亡命者であった。
さて、会社で冷遇されているということはよくある。どうもごますりが得意な奴の方が厚遇されている気配もある。これは已むを得ない。人間なんだから、好き嫌いで厚遇も冷遇もする。経営者はだからと言って、なるべく公平に見ざるを得ず、特例を認めるわけにはいかないから。冷遇されていると思っているひとに、飴を渡すわけにもいかない。厚遇も冷遇も受け取る者の気持ち次第だからだ。
この組織における厚遇や冷遇を完全に消し去る方法はないと思うが、厚遇も冷遇もやむなしという組織上の雰囲気を創出する必要はあろう。そのためには、なるべく客観的に評価する仕組みを導入し、リーダーが「こういう者を厚遇する」というお触書を公知することだ。いわゆる評価制度の限りなき客観化である。これでも完全なる公平は難しいが、ないよりマシである。
受け取る側の厚遇や冷遇の感じ方について、それを修正するのは無理だが、予め評価制度が明確であれば、その評価制度に基づいて評価した結果については、評価を受けた方は許容せざるを得ない。そこでもめるのであれば、その評価制度に文句を言うのではなくて、最初からその組織には参加しなければいいだけの話である。
厚遇や冷遇について感情を抱きやすいのは、客観的な評価制度がないためである。特に営業等実績がある人にとっては、自分の会社への貢献が会社への売上という形で計量化しやすい。こんなに稼いでいるのに、俺のもらっている給料ってこんな少ないのか、と思うとモチベーションも下がる。そうは言っても、会社には粗利というものがあり、営業以外も食わせていかなければならないし、そもそも家賃等、色々と経費が掛かるのだ。それを営業には納得してもらう必要がある。
転職者が多い環境があるとすれば、ノルマがきつい、というのもあるが、報酬が自分の能力と見合っていないと感じるからである。それを解消するのもまた、会社側の役目である。自分がもらえていないと、役員の野郎、儲けやがってとなるのが当たり前である。
(教訓)
〇冷遇を感じやすい職場は客観的な評価制度がない会社が多い。
〇特に優秀な営業に対しては、会社の財務を説明すべきである。粗利とは何なのか、どんなコストがかかるのかの説明である。それがなければ、なんであんなに売上上げているのに、給料はこんなに少ないんだと思われてしまう。