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生きている実感を手に入れる方法

織田信長に学ぶ、

「人間五十年 下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。一度生を得て滅せぬ者のあるべきか(人間の50年の生涯は儚いものだ。死なない者は存在しない)。」

(解説)

元々は、幸若舞の演目の一つ「敦盛」からきている。これは能や歌舞伎の前身にあたる曲舞である。敦盛はご存知、平敦盛のこと。源氏方の熊谷直実が「一の谷の戦い」で一騎打ちを敦盛に挑み、その当時16歳であった敦盛の命を取ることを惜しむが、味方から批判され、已むを得ず討った。直実は敦盛を討ったことを苦しみ、世の無常を感じ、出家をした。世の無常を謡ったのが、上記「人間50年」の台詞である。

その後、世阿弥によって「能」の演目になり、熊谷直実が出家して、手をかけた平の熱盛の菩提を弔うため、一の谷に赴き、回向していると、敦盛の亡霊が夢に現れ、一門の没落を嘆き、我が身の最後を悟り、供養を謝して去るといったストーリーになっている。

50年というものは、人の一生と考えると、我々は人生100歳時代とも言われている。少なからず平均寿命は男女とも80歳以上にもなっている。

結局生きとし生けるものは死に、その後天国や地獄があるのかどうかもわからない。自分はホーキング博士の言う、「死んだら無だ」というのが、最もしっくり来ている。仮に天国や地獄があったとしても、生きているうちに、精いっぱい生きなければ損だと思う。自分を犠牲にして、他人の思い通りに行きる人生なんて、何が面白いのだろう。もちろん、社会に生き、家族を持てば、自分の思い通りにならないなんて当たり前だ。しかしできる限り自分が思い描いた人生を歩むことは、おそらく神様、あるいは天から望まれた人生なのだ。

信長は、できる限り自分の思い通りに生きた人生だっただろう。最後、本能寺で明智光秀によって、天下統一を阻まれるまでは。我々雑兵は信長のように、歴史の教科書に載ることはないが、それでも、人の言いなりの人生を歩んでいては、この世で生きた証を残すことはできない。自分が死んでしまった後に、自分の家族や友人が生きている間は思い出してもらえるだけだ。墓に自分の名前が刻まれていたとしても、数世代後の人にとってみれば、墓に書いてある名前だけになってしまう。それは悲しいことだ。

自分が生きてきた証を残すためには、社会貢献ができる何かを残したい。悪名でこの世に名を遺すのは恥ずかしい。自分が死んだ後どうなるかなんてよくわからないけれど、もし自分が起業した会社が継続し、創業100年となったら、創業者〇〇と、名前も残る。そして、その会社を受け継いだ人から、永遠に創業者として語り継がれるだろう。もちろん自分が死んでしまったら、会社は倒産してしまうかもしれない。でもこの世に残す足跡としては悪くはないのではないか。自分が始めなければその会社はないし、その会社がなければそこで勤める人たちの雇用もなかったのだから。

[教訓]

〇生きていた証を残すのは起業が一番。

〇せっかく生まれてきたのだから、生きていた証を残そう。

〇他人の思い通りの人生を生きていたら、お墓に名前が刻まれただけの人で終わってしまう。

この記事を書いた人
経営学博士。経営学は座学より実学をモットーに大学院在学時より、サラリーマンで修業。一部上場企業の財務、メガバンクでの不良債権処理、 上場支援、上場後の投資家向け広報、M&A、事業承継等を経験。 数千の経営者と身近に接することが多く、数多くの成功例や失敗例を見てきた。 一人でも多くの成功者を輩出することが自らの天職と考え、現在は独立し、起業家に対して、ファイナンスやマネジメントまわりのサポートを行っている。 起業家モチベーター。
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