「何の志も無きところに、ぐずぐずして日を送るは、実に大馬鹿者なり」
(解説)
志とは、「こうしようと心に決めたこと」。
いつ我々は志を捨てるのだろう。子供の頃の夢がそのまま志に変わることもあるが、小学校、中学校のうちに、何か夢に近いものは生まれ、おそらく高校のときにその夢なるものはなくなって、半分くらいの人にとって見れば、どこの大学に入りたいかが志になってしまう。もう半分の人は概ね普通に就職していき、現実の中にいち早く埋没してしまう。何パーセントの人が志を持ち続け、それに向かって歩んでいき、それでも途中で挫折する人も出てくるだろうが、その志に気づかないよりはましであり、その志に向けて行動しないよりはましだ。
大学に入学した人の中で大半が、次はどこの会社に入れるか、公務員になれるか、資格が取れるかといった志に変わっていくだろう。ただ一言言おう。このどこが志なんだと。
正直、志とはそんなにちっぽけなものではない。自分以外の人でも目指せるものは志なんて呼べるものでもないだろう。例えば、弁護士を目指していて、弁護士になることは志でもなくて、弁護士になって自分が何をしたいか、そしてどのように社会を変えたいか、それが初めて志と呼べるものではないのだろうか。とすると、現代人には志がない人が大半で、龍馬からすると一言で一括されてしまう。
それは厳しすぎるとも思うし、志をもっと広く解釈して、自分以外でも目指せるものであっても良しとしよう。ある目標を立てること、そしてその目標に向かって動くことが大切なのである。日々無目的に生きるよりもましだ。それを龍馬は大バカ者と言い切る。
起業家であれば、会社を作って独立することが志ではない。どんな社会貢献をするかが志である。なぜその社会貢献があなたにしかできないかを自分に問うてみよ。
[教訓]
〇とにかく何か目指せ。
〇志とは本来、誰でも目指せるものではない。あなただけが目指せるものを言う。