安国は法に触れて罪に陥った。蒙の獄吏田甲が安国を侮辱したので、安国が「燃え果てて灰になったようでも、また燃え出すことがないものだろうか」と言うと、田甲は「燃えだしたら、これに放尿してくれよう」と言った。その後やがて梁の内吏が欠員となったので、漢は使者を梁にやり、安国を内吏に任命した。刑徒から禄二千石の大官に起用されたのである。田甲は逃亡した。安国は「田甲よ。もしお前が職に復帰しないなら、わしはお前の一族を絶やそう」と布れた。田甲が肌を脱いで罪を詫びると、安国は笑って、「放尿したらどうだ。貴公らは、とやかく詮議するほどの値打ちもない者どもなのだが」と言って、結局は彼を良く待遇した。
(解説)
灰とは、草や木、動物などを燃やした後に残る物質のことである。一見残りかすのようだが、色々と使われている。灰の中に含まれる炭酸カリウムは、助燃触媒にもなる。つまり消し炭や燃えさしは着火しやすい。山菜などのあく抜きは灰汁を利用する。また、カリウムを含むことで肥料としても利用できる。焼畑農業は、そもそも草木の灰が肥料となるのである。
不死鳥は自らを炎の中で燃やし、その灰の中から再生するし、はなさかじいさんの話も、飼い犬の墓の横に植えられた木で作った臼が燃やされて残った灰をまくことで枯れ木に花が咲いた。これらから灰はこの世とあの世を仲介する象徴として描かれている。
さて、安国が法に触れて罪人となり、その刑務所の門番であった田甲が安国を侮辱した。そこで安国が「灰になっても燃え出すかもしれん」と言った後で、小便でも掛けて消してやると言ったわけだ。どんなに燃しても、熱を持っているうちは再び発火するかもしれない。焚火等でも完全に火を消さなければ、それが原因で火事になるかもしれない。小便はともかく、消火はすべきだろう。
経営者は灰のようでなければならない。仮に燃えカスになっても社会に有用な存在であるべきだし、燃えカスになったようでも、どこかにエネルギーを隠して置き、また不死鳥のように復活するのだ。事業なんて上手く行ったりいかなかったりだから、火がついて会社が全焼してしまう事だってある。一からやり直しになったとしても、事業なんて何度でも始められ、育てられる。灰から復活するくらいの気持ちで、ビジネスはやるべきなのだ。まずは灰より始めよ、である。
[教訓]
〇経営者は灰になっても社会に有用な存在であれ。
〇経営者は灰になってからでも復活せよ。