ヤンはルッツ艦隊がイゼルローン要塞から出撃する時機と条件に付いては、完璧に近い計算を立てていた。・・・ビュコック元帥とチュン・ウー・チェン大将が残存兵力を統合してラインハルトに挑むということがわかっていれば、彼は異なる方程式を立てなくてはならなかったはずである。
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「もしビュコック元帥らの出撃の情報がヤンの元にもたらされていれば、彼は苦痛に満ちた選択を強いられたことであろう。敬愛する先輩を見殺しにするか、勝算なき戦いに身を投じるか、理性をねじふせるか、感情を犠牲とするか、知らなかったがゆえに、ヤンはイゼルローン要塞再奪取と言う芸術上の課題に専念することが可能となったのである。」
両手に余るほどの課題を既に抱えながら、さらに重大な要件を加えたのでは、ヤンの脳細胞と言えども過負荷の火花を発しかねなかった。
当の本人たちが、自分たちの過去の成果より目前の事業に熱中しているという事実もあった。
(解説)
複雑に条件が絡んでくると、場合分けが増えて、選択肢が増える。そうすると、それだけ悩むことになる。課題の全てを解く最適解というのは、経験上ほぼない。何かを犠牲にして、何かを立たせるしかない。
情報はあればあるに越したことはないが、あることによって、何の意思決定もできなくなる可能性もある。そうであるならば、かえって情報は少ない方がいい。情報が少ないことによって、選択ミスを犯すこともあるが、情報が多いことによって選択ミスを犯すこともある。情報が多いからと言って、より成功の確度が高まるとも言い切れない。情報が少ないために、かえって物事を成功させることもある。一つの事だけを成功させればいいというのであれば、より多くの情報を得ない方がいい。
物事を単純化した方が、意思決定しやすいこともある。単純化した結果、本質を見誤ることもある。矛盾しているが、結局は意思決定のしやすさで情報を遮断せざるを得ないということだ。
あえて、色々な情報を省いて、しかも過去のことも気にせずに、将来のことも気にし過ぎずに、目の前の事だけに集中をする、と言う方法だってあるだろう。
(教訓)
〇情報が多いければ成功するものでもない。
〇目の前の事だけに集中するというのも、効率的な意思決定の一つだ。