「ああ、その指揮官は鉄壁ミュラーに違いないよ。異名にふさわしく、主君を守ろうとしているのだ。彼を部下に持ったという一事だけで、皇帝ラインハルトの名は後世に伝えられるだろうな」・・・
今さらに、ミュラーのような良将を配下にかかえるラインハルトの陣容の豊かさにヤンは感嘆せざるを得なかった。ミュラーだけではない。ヤン自身の手で戦場に斃したファーレンハイトやシュタインメッツにしても、専制政治に対する信頼のゆえに身命を棄てたのではなく、ラインハルト・フォン・ローエングラムに対する忠誠心のゆえに、天寿を全うする機会を放棄したのである。彼らにとって、それがラインハルトの知遇に応える道だったのだ。
「つまりは、人は人に従うのであって、理念や制度に従うのではないということかな」
(解説)
カリスマ経営者は、事業承継が大変だといわれるが、いなくなったらいなくなったで何とかなるのが組織でもある。そもそも経営者のワンマンだけで、組織なんて大きく成りようもない。優れた部下に恵まれてこそ、組織は大きくなっているのだ。優れた経営者と凡部下では、実は、経営者はカリスマになっていない。単なるワンマン経営者というだけだ。ワンマンならば一代限りだって大したことはない。組織としての存続意義が社会にないのならば、時機に消滅していくだけである。意義があれば、必ずや誰かが事業を引き受ける者は現れる。死んだ後も心配する必要がない。
結局、経営者がどんなに優れていたとしても、きちんと部下も育っているものだ。優れた経営者であればあるほど、しっかりと部下も育てている。例え物足りなかったとしても、他社と比較すれば極めて優れた部下である。カリスマ経営者の後で、それを継ぐ者がカリスマ経営者であった例はそれほどない。創業社長でなければ、その組織を維持さえすればいいのだから、カリスマ性はそこまで要求されない。
さて、これら優れた部下は、会社の理念だけで、従う人は多くはない。そのカリスマ経営者の下で働きたいと思うのだ。当然、その会社の理念は、カリスマ経営者が生み出したものだから、その理念に従うといえなくもないが、このような会社の優秀な人材は、人生を仕事に捧げる人も少なくない。それは経営者の魅力ゆえである。結局のところ、人は人に従い、理念や制度に従うものではない。極端な話、理念なんて二の次で良い。まずはリーダーの人間的な魅力がありさえすればよい。
(教訓)
〇優れた組織は、優れた経営者だけで成り立つにあらず。優れた部下が必ずいる。
〇人は人に従い、理念や制度の従うものではない。
〇理念よりも、経営者の人間的な魅力が重要だ。