「市井の庶民といえども、転居のときにはあらかじめ掃除をするものだろう。フェザーンに限らず、帝国全土を陛下の御為、清潔にする必要があると卿は思わぬか」・・・
「なるほど、地下に潜った黒狐やその他の妖怪どもを燻し出すのですな。そのためにトリューニヒトを使うと・・・」
・・・だが、オーベルシュタインの発想は、常に有害物を排除することによって帝国の安泰を図る、と言う型に沿っている。遠からず粛清の朔風が帝国の中枢を横断するのではないか。
「虫が食った柱だからと言って切り倒せば、家そのものが崩壊してしまうこともあるだろう。大と小とを問わず、悉く危険人物なる者を粛清し終えた後に、何が残るか。軍務尚書自身が倒れた柱の下に敷かれるかもしれんな」
(解説)
ラインハルトは大した考えもなく、半分冗談で、トリューニヒトのハイネセン赴任を決めてしまったが、それに部下たちは深い意味付けをしている。ラインハルトの考えは深いということを前提としているからだ。
オーベルシュタインは、トリューニヒトを使うことで、ろくでもない奴らをあぶりだすことができると考えた。一種のゴキブリホイホイのような役目を担わせるつもりということである。クズはクズを集めるものだ。大いに利用しよう。
そしてリーダーの権威を保つために、意味づけをしてくれる部下がいるのは、非常に助かる。流石にリーダーたるもの、何も考えていないというわけには、行かないからだ。そうは言っても、リーダーは直感で物事を判断しなければならないこともある。その直感は、論理的なものではない。しかし何らかの合理的なものを感じ取ってしたことの方が多い。リーダーの直観は、過去の経験則上、何となくそう思ったことと言うのが少なくない。それ故、後でわざわざ意味づけしようと思えば、できることも多い。
後半部分は、「虫が食った柱だからと言って切り倒せば、家そのものが崩壊してしまうこともある」というが、リーダーが徹底して組織に対して、シロアリ駆除をしていない限りは、たいてい柱は食われていると思った方がいい。そしてその柱に生きたシロアリや死んだ白アリがそこにあることで、家の柱が形をとどめていることもある。全部殺してしまっては柱自体が壊れることにもなりかねない。組織のシロアリ駆除は、柱を取り換えるくらいの意識が必要である。
(教訓)
〇リーダーの直観は、過去の経験則上の何となくで成り立っており、後付けで理論づけすることができなくもない。
〇リーダーの発言に権威を持たせるために、適当に考えたことであっても、後付けの理由は考えておくべきである。