聖書に以下の事を学ぶ。
「どのようなときにも友を愛すれば
苦難の時の兄弟が生まれる(17-17)。」
持つべきは友とは言ったものだが、友と言ってもやはり赤の他人であることが多い。そんな時には身内ほどありがたい存在はない。しかしお金を借りるときには、友人から借りると、返済できないときに友情を失いかねない。兄弟等親類からお金を借りて返せないときは、絶縁状を突きつけられる。あまり身近な人からお金を借りない方がいい。やはり、お金はプロから借りるべきだ。プロとは当然、金融機関、つまり銀行等である。利息と元本を支払えば基本問題はない。仮に返せない場合であっても商売だ。気にする必要はない。俺に貸したお前が馬鹿だ、ははは、と内心思っておけばよい。その内心をはっきり口に出してしまった場合には、それこそ訴訟問題になりかねないし、温情もなくなるから、内心は隠しておこう。
三国志の劉備、関羽、張飛は桃園の誓いで義兄弟の関係を結んだ。お互いを愛し、信頼していたからこそ、本当の兄弟以上に兄弟だったのだろう。死ぬときはいつも一緒、と歴史的にはならなかったが、これこそ苦難の時の兄弟と言える。だから友を愛し、苦難の時の兄弟としておくべきだ。
「口数を制する人は知識をわきまえた人
冷静な人には英知がある。
無知なものも黙っていれば知恵があると思われ
唇を閉じれば聡明と思われる(17-27)。」
別の言い方をすれば、口は災いの元とも言えそうだ。その他のことわざとしては、「沈黙は金、雄弁は銀」というものもある。これは何も語らず黙っていることは、優れた雄弁よりも大切であるということだ。
よく話す人の中には、興奮気味になって、たまにオーバーヒートを起こしてしまう人もいる。口数が多ければ、失言も生じる。お酒を飲むとさらに雄弁になって、国際問題になりかねない発言をしてしまう議員さんもいらっしゃった。
必要以上のことは語らないということも、自分の手の内を明かさないという意味ではよいことだ。
自分の無知をさらさないために、あえて語らない方が良いとも考えられる。黙って聞いて、頷いているだけでも、理解してくれているように思えるし、話をした方としては、黙って聞いてくれている人の方が、自分の考えに賛同してくれてそうで悪い気はしない。下手に反論されるよりも気分がいい。
特に、質問を求められるまでは何も話さないというのも良い。処世術の一つと言えよう。
[教訓]
〇友を愛し、苦難の時の兄弟とせよ。
〇必要以上に語るな。黙っていて賢く見せよ。