聖書に以下の事を学ぶ。
「わが子よ、蜜を食べてみよ、それは美味だ。
滴る蜜は口に甘い(24-13)。
そのように魂にとって知恵は美味だと知れ
それを見出すなら、確かに未来はある。
あなたの希望が断たれることはない(24-14)。」
資産家となり、物理的に裕福になっても、精神的に満たされなければ本当の意味で幸福になれはしない。特に魂の幸福感はどこから得られるかというと、個人の価値観ではあるが、「知恵」という意見には、うならされるものがある。太古の昔からそうだったんだろうとも思わせる。
まず、人間が人間である理由、そしてそれが他の動物と異なる理由は何か。それを食欲、性欲、物欲、支配欲が満たされることだ、といったら、他の動物と全く変わらない。お山のおサルを見ていれば、支配欲はサルも持っているということがわかる。
それ故、世間の資産家の行き着く先という者が、上記欲望でしかなければ、要するにサルと変わらないことになる。サルになく、他の動物にもなく、人間にあるもの、それは知恵である。だから魂にとって知恵が美味だと言い切っているのだ。
それに知識は過去の集積に他ならないが、知恵は未来でも使える。そして知恵は、希望にもつながる。
「神に従う人は7度倒れても起き上がる
神に逆らう者は災難に遭えば躓く(24-16)」
七転び八起はここからきているのだろうか。「神に従う」を、「成功法則に従う」と言い換えてみよう。起き上がれるから、いくらでも倒れろと言われているようだ。人間起き上がれるとわかれば、いくらでも倒れられる。柔道でも受け身ができるから、自分でも大きな投げ技が仕掛けられる。これを倒れられないと思った瞬間に、大技を繰りだせなくなる。
物事は全てにおいて度胸が必要だ。しかし人は安全を望む生き物。死ぬとわかっていて死にに行くのはよほどのことだ。通常のビジネスに置き換えれば、生活は最低限出来るというセーフティネットさえあれば、リスクを負って挑戦できる。セーフティネットがあるようでない社会だから、日本では挑戦しづらいのだ。
「神に逆らう」を「成功法則に則っていない」と解釈すれば、ビジネスで数々躓く理由は成功法則に則っていないからだと、思うことができる。とにかく、何度つまずいても、倒れてもひたすら立ち上がれ、神様が諦めて、成功法則をもたらしてくれるまで。
[教訓]
〇今の富より、将来の富を生む知恵を得るのは人間だからこそ。今の富に満足しているのはサルと変わらない。
〇倒れることに恐怖がなければ大胆に攻められる。従い、倒れることを恐れるな。安全な倒れ方を知っておけ。