聖書に以下の事を学ぶ。
「弱者を搾取して自分を富ませたり
金持ちに贈り物をしたりすれば欠乏に陥る(22-16)。」
弱者を搾取して自分と富ませると窮乏に陥るとは、結局、従業員から搾取すれば、やる気を失って去り、モチベーションが下がり、ミスが重なって、会社に損害を与えることがある。たくさんの給料を払えば解決するわけではないけれど、お互いに納得感のある給料設定でない限りはどこかで損をする羽目になる。
お客様にしても同じこと、立場が弱いからといって、大企業の言いなりにお金を払わせようとすれば、お客様が疲弊して、マーケットから撤退を余儀なくされる。つまりお客様でなくなる。
金持ちに贈り物をしても欠乏に陥るとある。これについては二つの見方がある。まず肯定的に解釈すれば、お金を稼いでいる人にたくさんお金を与えたところで、パフォーマンスがお金に比例して上がるわけではない。コストパフォーマンスの観点から、過度に支払うことが良いことではない。お金を支払いすぎれば、自分の懐が寂しくなり欠乏に陥る。
国の税金から考えてみよう。税金は払える余力がある人から払ってもらうのが原理原則である。お金持ちを優遇しなければ、日本から出ていってしまうという意見を言う人がいるが、そんな愛国心のない奴は出ていってしまってよい。所詮、お金を貯めるだけで使わない。だから意味がない。その優遇の結果が今の状況だ。どうなったか。そんなことは言わずともわかるだろう。逆に国民が欠乏に陥っている(特に働き盛りの人たち)。年金も比較的裕福な老人層に配っているために、原資も少なくなっている。
この点については、逆の面からの反論もある。今はお亡くなりの超富裕層の方(生前の呼び名で以下、「会長」と呼ばせていただく)に、色々な人が貢物をしていた。どんな会社の社長さんであれ、会長と比べれば、みんな大したことがない。それではなぜそんなことをしているのか、経済的な理由がある。
まず一つは、今まで会長に多大なるお世話になったこと、世間的な大企業も会長個人からの資金的な援助も受けていたと聞く。もう一つは、まだブランド力のない人にとって、その人にお近づきになるためには、贈り物が一番だ。どんなお金持ちだって、くれるというものを断りはしない。そうすると、会長の懐に入ることができる。そこで会長から直接お金を出してもらうという愚かなことは考えない方がいい。ではどうしたか。会長の信用をお借りするのだ。
「おい、お前、自分が目をかけている奴がいるんだ、商品を買ってやれ(あるいは1億円貸してやれ)。」
その一言をもらえれば、その会長からのお願い事を聞かなければならなくなる。国の政策上、お金持ちに税金を請求するというのは間違っていないと思うが、むしろ、自分を引き上げてほしいと思ったら、個人レベルでは自分の財産を、超富裕層に貢ぐのも間違いではない。もちろんそれだけの人物に限る。国税庁が狙ってるクラスのちんけな富裕層に、お金やモノを貢いだところで、一般人が得られるものはたかが知れている。
[教訓]
〇弱い立場の従業員や、顧客からお金を搾取すれば、働き手や消費者が疲弊する。つまり養分を十分にやらない稲と同じで、刈り取る稲が少なくなる。
〇お金持ちにお金を与えても有効に使わないから意味がない。
〇但し、信用力の高いお金持ちに貢ぐと、信用力を得られ、ビジネスは成功する。