「なあ、ユリアン。どれほど非現実的な人間でも、本気で不老不死を信じたりはしないのに、こと国家となると、永遠にして不滅のものだと思い込んでいるあほうな奴らが結構多いのは不思議なことだと思わないか」・・・
「ユリアン、国家なんてものは単なる道具に過ぎないんだ。そのことさえ忘れなければ、多分正気を保てるだろう」
人類の文明が生んだ最悪の病は、国家に対する信仰だろう、と、ヤンは思う。だが、国家とは、人間の集団が生きていく上で、互いの補完関係を効率よく進めるための道具であるにすぎない。道具に人間は支配されるのは愚かしいことだ。いや、正確には、その道具の操り方を心得ているごく少数の人間によって、大多数が支配されるのだろう。
(解説)
国家を会社と言い直してみよう。会社は単なる道具に過ぎない。最悪の病は会社に対する信仰だ。だが、会社とは人間の集団が生きていくうえで、互いの補完関係を効率よく進めるための道具であるにすぎない。一般に会社の上層部の人は、会社の操り方を心得ており、そのごく少数の人間によって大多数が支配される。完全にそのものだ。
寄らば大樹の陰、テンポラリーよりも正社員。そうやってみんなが正社員になりたがる。これからの社会で、正社員になって安定すると思っているのだろうか。テンポラリーよりははるかにましだが正社員も、会社を安定化するためのバッファーになり得ると何で考えないんだろうか。なるべきは、会社と言う道具の操り方を心得ているごく少数の人間となり、大多数を支配することだろう。そうすれば、少なくとも単なる部品ではなくなるし、会社のキャッシュフローがきつくなってきたときに、首を斬られる側にはならない。
次に国家をお金と言い直してみよう。お金は単なる道具に過ぎない。最悪の病はお金に対する信仰だ。だが、お金とは人間の集団が生きていくうえで、互いの補完関係を効率よく進めるための道具であるにすぎない。一般にお金を持っている人は、お金の操り方を心得ており、そのごく少数の人間によって大多数の貧乏人が支配される。こちらも完全にそのものだ。
でも会社にしても、お金にしても、道具であることを忘れてはならないし、扱い方を心得ていなければならない。会社やお金から使われる人間になってはならない。
(教訓)
〇最悪の病は、会社やお金に対する信仰である。
〇会社もお金も所詮道具に過ぎない。
〇道具に使われてはならない。