「そう、どういったらいいかな、山を見るにしても一方だけ見ていては全体像をつかめないというか・・・ところでユリアン、ローエングラム公は、はたして悪の権化なんだろうか」
その質問はユリアンを惑わせた。
「それは違うと思いますが・・・」
「そりゃそうさ。悪の権化なんて立体TVのドラマの中にしか存在しない」
・・・
絶対的な善を完全な悪が存在する、と言う考えは、おそらく人間の精神を限りなく荒廃させるだろう。自分が善であり、対立者が悪だとみなしたとき、そこには協調も思いやりも生まれない。自分を優越化し、相手を敗北させ支配しようとする欲望が正当化されるだけだ。
(解説)
同盟政府の意向で、ユリアンはフェザーンに赴任することになった。ユリアンはヤンからフェザーン行きを伝えられたときに、自分が不必要になったという感情を持った。それは当然、軍の命令だったのだが、ヤンがユリアンをフェザーンに行かせたい理由としては、ラインハルトがフェザーンと手を組んだかもしれない、そして、フェザーン回廊を使って、同盟へ進行する恐れの確認、さらには別の視点から物事を見るためというものがあった。
人間だもの、と言ってしまえばそれっきりだが、感情で行動をしてしまう癖を持っている。そしてその感情とは、極端な話、好き嫌いである。気に入らない芸能人がいたら、SNS等で誹謗中傷すら行い、それを有名税だとかほざく。
経営者も、好き嫌いで動いていないと、絶対的に言えるだろうか。その好き嫌いと言う感情は、意思決定において非常に便利である、何も考えずに済むからだ。しかし往々にしてだが、嫌いということで意思決定しなかった方が、その人にとって、損をすることは少なくない。顧客であれば、好き嫌いでいいのだ。好きな商品を購入する、嫌いな商品は買わない。しかし経営者が好き嫌いで判断すると、大抵真逆に効果になりかねない。
そしてその好き嫌いと言う感情は、ある一方的な見方から生じ、自分の狭い範囲での人生観で決めたものにすぎない。他方の視点から考えてみると、実はその他方の視点の方が、案外正しかったことに気づくこともある。最低でも、多角的に見ておけば、より真実に近づくことは間違いない。
経営者は感情で判断せずに、多角的にモノを見つめ、合理的に判断せよ。
(教訓)
〇経営者は感情で物事を判断するな。
〇多角的に物事を見つめ、客観的視点で判断せよ。