「吾々はロイエンタール元帥に背くにあらず、皇帝に帰順して帝国軍人の正道に帰らんと欲するなり・・・」
投降した仕官の主張に対するビッテンフェルト上級大将の返答はこうである。
「理屈をこねるな、理屈を。生命が惜しいだけだろうが」
だが、自己正当化に汲々とする高級士官たちと異なり、下級兵士たちは、はるかに率直で単純だった。負傷して病院船に収容された。まだ10代の若い兵士が、尋問に答えて、次のように語っている。
「俺たちは生命がけで疾風ウォルフや黒色槍騎兵と闘いました。ロイエンタール元帥に対する義理は果たしたと思います。退院したらまた皇帝の下で軍務を務めたいのですが、俺たちみたいな一兵卒でも裁判にかけられるのでしょうか」
報告を受けたとき、ミッターマイヤーは、怒りよりも深刻な衝撃を受けたように部下たちには見えた。
「・・・そうか、義理を果たしたかと言ったか」
ロイエンタール軍の瓦解を、ミッターマイヤーが確認したのは、実にこのときであった。
(解説)
仕官も一般兵も、ほぼ全員が叛乱に巻き込まれた感じではあるが、仕官、つまり上層部が言い訳を垂れると、日和見主義の批判を免れない。日和見主義とは、「ある定まった考えによるものではなく、形勢を見て有利な側方に追従しよう」という考え方である。日和見とは、江戸時代頃の日本の天気観察のことである。
日和見主義とは、どちらかと言えば否定的な意味を多分に含んではいるが、定まった考え方を持てる人、そうでない人がいるのはやむを得ないことで、後者が形成を見て有利な側方に追従しようという考え方は、一種の処世術である。立場を変えすぎるのは、節操がないし、芯がない人と思われて、信頼はされにくい。叛乱のような状況下においては、主義主張は簡単に変えられなくても、ビジネスであれば、時代に即した考え方を、波に次々と乗り換えるくらいのフットワークの軽さはあった方が良い。食い扶持が稼げなくなったら終わりで、そんなときに主義主張を持ち出していたら、生きていけなくなる。日和見は柔軟性と言えなくもない。
さて、組織を去る時期、ビジネスパートナーと離れる時期、色々と今までの仕事に思いをはせるものだが、どんな状況下にあっても、中途半端で去るのはよろしくない。せめて今までの義理は果たせた、と自分の思い込みでもいいから、思えるくらいのことをして離れよう。いつも精一杯のことをやった。その気持ちを持てる仕事をしていれば、確実に木の年輪のように、自分に実績や自信となって太くなっていく。決してビールの飲み過ぎで脂肪の年輪で腹を膨らませることのないようにしたい。
(教訓)
〇日和見は、ビジネスとしては柔軟性と呼ぶこともできる。
〇組織やパートナーに義理は果たせたといえるくらいに、組織や相手に残してから、自らは去ろう。