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徹底した信賞必罰がビジネスを成功に導く

織田信長に学ぶ、

火起請とは、熱した鉄を持たせ、持てなかった者の申し立てを虚偽と判定する裁判のこと。

左介は甚兵衛の家に夜盗に入った。この事件を甚兵衛は訴え出た。ちなみに左介は信長の乳母の子、池田恒興の家来であった。火起請ということになり、裁判が行われた。左介は火起請の熱した鉄を取り落としたが、左介を成敗させないように、証拠となる火起請の鉄を奪い取り、立ち騒いでいた。

その時信長が鷹狩りの帰りに通りかかり、信長がその状況を聞き、「どれほどに鉄を焼いて持たせたのか。その通りに鉄を焼きなさい。見せていただこう。」と言った。そこで信長は、「私が火起請の鉄を無事に受け取ることができたら、左介を成敗せねばならぬ、そのように心得よ」といって、焼いた斧を手の上に受取り、三歩歩いて棚に置いた。そして左介を成敗させた。

(解説)

古くは日本書紀に盟神探湯(くがたち)の記録があり、日本古代で行われていた神明裁判である。対象となる者に、神に潔白を誓わせた後、(くかへ)という釜で沸かした熱湯の中に手を入れさせ、正しい者は火傷せず、罪のある者は大火傷を負うとされる。毒蛇を入れた壷に手を入れさせ、正しい者は無事である、という様式もある。どう考えても無謀だし、何も真実がわかるわけはないし、全員疑われたら犯罪者になってしまう。疑わしきは罰せずという今の刑事訴訟法とは真逆の世界だ。むしろ、昔このようだったから、犯罪者の人権が過度に守られるようになってしまった。それが犯罪被害者にとっては、納得しがたい刑事訴訟になってしまったことは言うまでもない。

さて、信長公記によれば、犯罪者を成敗させないように、その証拠となる鉄を奪い取ってしまったのだが、信長がその鉄を手に取って、火傷をしなかった。奇跡が起こったということになる。本当のところはどうかわからないが、ここで重要なポイントは、親しい関係にあっても(信長の乳母の子の家来だからそれほど近くもないが)、法の裁きは絶対であるという点である。

三国志時代の諸葛孔明による「泣いて馬謖を斬る」といいたいところだが、織田信長の場合泣いてはない。単に「馬謖を斬る」というところか。法を適正に執行しなければ、法の意味がない。また、裁判の結果がときの為政者の都合で曲げられてしまったら、その法を順守しようという気が起こらなくなる。法はいかなる場合にあっても公正であってほしいものだが、現実は中々厳しい。

法とは会社にとっては規則であるが、その規則が勝手に帰られてしまっても困る。あるコンビニエンスストアで、経営者が不在時に本部に営業を代行してもらうオーナー・ヘルプ制度を、旅行変更の際はダメだということになったとか。

もうそろそろフランチャイズなんてものに騙されないようにした方がいいとは思うんだが。あれは所詮、本部が労働基準法に引っかからずに済むための制度でしかないのだから。会社の形だけ役員と変わらない。どう考えても雇われ人でしょう。オーナーさんは。はっきり言おう、フランチャイズは独立でも起業でもない。あえて言おう、カスであると。

会社の規則を簡単に変更すると、従業員からの求心力は確実になくなる。当然就業規則等については、その変更を労働者との合意がなければ変えられないようにはなっている。内規を簡単に変更するのは、労働者じゃないから法律上はできること。しかしそれを勝手にしていいかどうかは別のこと。

[教訓]

〇馬謖を斬る。どんなに信頼している部下であっても親類であっても罪は罰せよ。

〇会社の規則は簡単に変えるな。

この記事を書いた人
経営学博士。経営学は座学より実学をモットーに大学院在学時より、サラリーマンで修業。一部上場企業の財務、メガバンクでの不良債権処理、 上場支援、上場後の投資家向け広報、M&A、事業承継等を経験。 数千の経営者と身近に接することが多く、数多くの成功例や失敗例を見てきた。 一人でも多くの成功者を輩出することが自らの天職と考え、現在は独立し、起業家に対して、ファイナンスやマネジメントまわりのサポートを行っている。 起業家モチベーター。
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