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リーダーはどんなときも逃げるな

織田信長に学ぶ、

1578年荒木村重は突然戦線を離脱し、有岡城へ帰城した。そうして織田信長に謀反を起こした。謀反の原因は、一説によると信長の部下に対する苛酷な態度にあったと言われている。しかし、当然、信長から受けた恩義やどうやっても信長にはかなわないため、高山右近が村重を説得する。なお光秀の娘が村重の嫡男である荒木村次の妻となっていたが、その後、離別し光秀の下に帰らせている。

村重は釈明すべく、信長の待つ安土城へと向かうが、家臣である中川清秀に引き留められ、「自分たちは信長には付かないので、引き返してこなければ他の者を領主とする」と言われ、不本意にも有岡城に戻り、信長への逆意を明らかにした。なお、信長と対決するにあたり、村重は足利義昭、毛利輝元、顕如のもとに人質と誓書を差し出し同盟を誓った。

高槻城の高山友照・右近父子は人質を取られていたため、やむなく荒木側につかざるを得なかった。彼らはキリスト教徒であり、宣教師のオルガンティノは「信長に敵対しないよう」説得。信長がキリスト教徒を敵にするのではないかとも恐れた。

オルガンティノは信長に人質の奪還方法を相談する。ここで信長は、村重の差し出している人質と右近の人質を交換することを提案した。そうしてオルガンティノに右近を投降させるように命じた。右近の家臣までもが友照を信長に投降させることを画策し、友照が眠っている間に城の各所を占拠。こうして高槻城は信長の軍門に降った。

その後、本格的な攻城戦の後で、兵糧攻めへ切り替え。長期戦に突入する。村重は毛利軍と石山本願寺軍の援軍を期待していたが、現れず、信長の嫡男である織田信長隊のいる加茂砦に夜襲をかけ、砦は炎上。但し、信忠は無事だった。

毛利が援軍の約束をしながら、援軍を送らず、城を持ちこたえるのは不可能と判断し、村重自ら毛利と交渉に出向いた。これが信長のスパイに知られることになり、信長は有岡城に総攻撃を開始する。そして荒木軍の中に裏切りがあり、織田軍は城に容易に侵入でき、守備兵はことごとく打ち取られ、城を占拠した。

当時城守をしていた荒木久左衛門は信長の講和に応じ、開城を決意、ここに有岡城の戦いの戦闘は終結することになる。

(解説)

ストーリーにドラマがあるので、少々長めに記載させていただいた。

村重も、ちょっとしたことで信長に怒りを感じたが、完全に謀反を起こすまでの感情ではなかったのかもしれない。しかし家臣から背中を後押しされただけでなく、信長に釈明しに行くなら、戻る場所はないと念を押され、やむなく信長に反意を持ったのではないだろうか。リーダーは部下に迷っているところを見せてはいけない。部下から付け込まれ、取り返しのつかないことになる。

次に高山家の説得がポイントである。人質を取られていたため、やむなく荒木側につかなければならなかったが、その点、信長は人質奪還の策を提案している。ここで重要な役割を果たしたのがキリスト教徒のオルガンティノであった。キリスト教の教えでは「君主(信長)に逆らってはならない」のだから。信仰心のあるものには、同じ信仰心があるものの説得の方が効果的だ。これは信仰に関わらず、普段から気の赦せるもの同士の方がよい。人の命令はしぶしぶだが、心から納得できれば、その後の行動には決して迷いがない。

さらなるポイントが、有岡城の守備隊の切り崩しである。また、村重が城にいないということも、相手の粘りを失われたことだろう。やはりピンチにはリーダーがいないと駄目である。自分だけ逃げてはいけないのだ。

[教訓]

〇リーダーは部下に迷ったところを見せるな。

〇悩むなら部下のいないところで悩め。

〇相手を言い聞かせるのは命令よりも説得だ。心から納得させることが大切。

〇ピンチこそ、リーダーが率先して体を張れ。

この記事を書いた人
経営学博士。経営学は座学より実学をモットーに大学院在学時より、サラリーマンで修業。一部上場企業の財務、メガバンクでの不良債権処理、 上場支援、上場後の投資家向け広報、M&A、事業承継等を経験。 数千の経営者と身近に接することが多く、数多くの成功例や失敗例を見てきた。 一人でも多くの成功者を輩出することが自らの天職と考え、現在は独立し、起業家に対して、ファイナンスやマネジメントまわりのサポートを行っている。 起業家モチベーター。
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