「奇策とは百に一つも用うべきではない。九十九まで正攻法で押し、あとの一つで奇策を用いれば、みごとに効く。奇策とはそういう種類のものである。」
(解説)
起業家の中には、奇策ばかり用いようとする者がいるが、実は奇策は、龍馬の言う通り、たまに用いるからよいのであって、いつも使っていてはよくある策になってしまって、どちらかというと無謀で確率の悪い攻め手である。
野球でも普段スクイズをしないチームが、スクイズをしたり、1アウト3塁の時が定石だが、2アウト3塁のときのセーフティースクイズは効果的だったりする。これがいつもスクイズをしてくるチームは、最初から警戒されて、成功確率は格段に落ちる。
歴史上の話としては、紀元前200年頃の中国で、西楚の項羽と漢の劉邦との戦いの中で、韓信率いる3万程度の漢軍が、20万もの兵の趙軍に攻め立てられ、万事休す。そこで韓信は川を背に趙群を迎え撃つ。これが「背水の陣」というものだ。人間、追い詰められれば火事場のくそ力を発揮する。
所と時は変わって、羽柴秀吉と黒田官兵衛のコンビ。毛利家配下の将、清水宗治が守る備中高松城の攻略を企てるが、沼や堀に守られた強固な城であったため、苦戦を強いられた。そこで、行ったのが「水攻め」。城のまわりに全長4km、高さ8mの堤防を作らせ、これによって川の水がせき止められ、高松城はあっという間に水没した。
こういった、凡人には思いつかない「斜め上」の発想は、天才だけの専売特許ではない。ただ間違ってはいけないのは、奇策はあくまでも上策を知り尽くしている者からしか出てこない。基礎があってこそ、効果のある自由な発想が出てくる。基礎がなければ、どんなに奇抜なアイデアでも、実用的ではないことになる。上策を理解しているからこそ穴に気づくのだ。
[教訓]
〇普段から奇策ばかりでは効果がない。
〇上策を知り尽くしてこそ、効果的な奇策が生まれる。