聖書に以下の事を学ぶ。
「かつてあったことは、これからもあり、
かつて起こったことは、これからも起こる
太陽の下、新しいものは何一つない。
見よ、これこそ新しい、と言ってみても
それもまた、永遠の昔からあり
この時代の前にもあった」
コヘレトとは伝道者という意味であって、コヘレトという個別名称を持っていた人がいたわけではない。出だしが「エルサレムの王、ダビデの子」となっているから、ソロモンの言葉ではないかと言われている。
上の文章を読むと、結局新しいことなんて考えても無駄だというように見えるが、古きを大切にせよということだと思える。
さて、ビジネスはとかく新しいことが良いことだ、といった風潮があるし、投資を受ける際には新規性や独自性を要求される。そうであれば思いっきり新しく、思いっきり個性的であればよいのかというと、それでは全く見向きもされない。
古きもののベースに、新しいものをいかに乗せることができるか、これが重要視される。それに人、特に消費者は新しいものにはすぐ慣れない。どちらかというと、以前と同じものの方が、使いやすい。本当は使いづらいものでも、昔から使っているとそれに慣れてしまって、今更もっと使いやすいものがあったとしても、何となく使いづらさを感じてしまう。
だから、突然画期的なものが登場しても、一般人に普及するようになるには、ものすごく時間がかかる。それまでサービスの提供会社がサービスを続ける財務的体力を持っているかが勝負だ。
スマホだって、所詮は携帯電話があってこそだし、携帯電話は、固定電話やポケベルがあってこそだ。電話というものがなければ、スマホが登場することはなかった。今や、電話としての機能はほぼ活用されていないが。
インターネットだって、電話網がなければこれほど広がらなかったし、動画サービスだって、テレビというものがなければ、あり得ない。テレビだって、ラジオがなければ登場しなかっただろう。
インターネットが昔からあったわけではないが、形を変えただけにすぎないと考えれば、昔からあったものだと言える。消費者に受けるサービスは、以前あったサービスをもっと、今どきに便利に変えたものである。
それ故、消費者が今まで使ったことのない新しいサービスというものは、絶対に普及しない。だから画期的なものと起業家が思えば思うほど、消費者のニーズには合致しないと思った方がいい。あなたが画期的だと思っているモノやサービスが今存在しない理由は、あなたが素晴らしく天才なのではなくて、所詮、何らかの理由で普及しなかったダメサービスだったという方が、はるかに正しい。
[教訓]
〇全く新しいものは消費者受けしない。今まであったものをもっと便利にしたものが受ける。