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相手を恐縮させる謙虚なビジネスの方法とは

イエスはマリアの子、夫はヨセフだが、天使ガブリエルの受胎告知で生まれた。このマリアにエリザベトという親類がおり、こちらの夫ザカリアとの間に洗礼者ヨハネが誕生する。

イエスに洗礼を与えたのがヨハネである。ヨハネもイエスに対して、洗礼を与えるのは非常に恐縮していた。
「わたしこそ、あなたから、洗礼を受けるべきなのに、あなたが、私のところへ来られたのですか。」

イエスは次のように答える。
「今は、止めないでほしい、正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」

歴史的に考えれば救世主(メシア)であるイエスが、一般人(ではないけれど)から洗礼を受けるのは、考えづらいし、それを与えるヨハネが恐縮してしまうのも無理はない。

我々の感覚からすれば、先生が生徒から、一流企業の社長が、新卒の若造から教えを受けるような衝撃である。通常、あり得ない。

これには二つの見方がある。仮にあなたが、自分自身才能があるとしてうぬぼれているとしよう。当人はそう思っていないが、大抵そんなものだ。周りの奴がアホにしか見えない。それも仕方がない。あなたがうぬぼれているんだから。それでうぬぼれが相手との対応に出てしまうと、嫌われるのは必須だ。あなたがどんなに素晴らしかろうと、ここは一歩下がって相手を立ててみよう。立てられると悪い気はしない。何かためになることでもしてくれれば儲けものだ。相手が上手に出るタイプだったら、自分の方があえて引いてみよう。これも一種の処世術だ。

次に、自分の方が社会的な立場が上だとしてみよう。そのときに社会的な立場が人の人からの言動から得られることはないだろうか、仮に犯罪者だって、その反面教師にはなるだろう。どんな人であれ、得られるものがない人なんていない。

歴史小説家の吉川英治さんの言葉で好きなものがある。「人皆わが師」。幼稚園生の一言だって、それを意味あるものとしてとらえる享受性があれば、いずれきっと自分のためになる。それが単なる幼稚園生の一言だとか、若造が何を言っているとか、犯罪者のいうことなんて正しいことなんてあるか、といった捉え方をしてしまうと、考え方も硬直化され、大して大きなことはできないだろう。

[教訓]
〇人皆わが師。幼稚園生の言葉からだって学ぶことはある。人を地位と実績で決めるな。

この記事を書いた人
経営学博士。経営学は座学より実学をモットーに大学院在学時より、サラリーマンで修業。一部上場企業の財務、メガバンクでの不良債権処理、 上場支援、上場後の投資家向け広報、M&A、事業承継等を経験。 数千の経営者と身近に接することが多く、数多くの成功例や失敗例を見てきた。 一人でも多くの成功者を輩出することが自らの天職と考え、現在は独立し、起業家に対して、ファイナンスやマネジメントまわりのサポートを行っている。 起業家モチベーター。
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