聖書に以下の事を学ぶ。
「私は知った
人間にとって最も幸福なのは
喜び楽しんで一生送ることだ」
喜び、楽しんで一生送れる人はどんなに幸せだろうと思う。誰しもそれを望むが、決してかなわぬ夢にも思える。でも求めなければ得られない。
喜ぶも楽しむも、その人の気持ち次第である。今やっていることが楽しいと思えればいい。それを仕事に求めてもいいし、求めなくてもいい。所詮仕事は生活するだけの手段だと割り切るのも悪くはない。ただ、もうこれを手段と割り切るには、つらく、ストレスがかかることが多すぎるのだ。
それに、死ぬまで一生働かなければいけない時代になりつつある。退職金をもらって、年金だけで生きていくのは、もはや夢の世界になってしまっている。それならば、仕事を楽しめるものにしないと、とても耐えられない。だが、サラリーマンをやってみたが、一度も自分がこれだと思う仕事に出会うことがなかった。自分の実力不足であることも決して否定できない。しかし普通に考えれば、誰かの仕事というものは、その始めた誰かが良いと思った仕事でしかない。赤の他人にとって面白い仕事であるとは限らない。そこでコヘレトでは次の言葉に続いていく。
「際限なく労苦し、彼の目には富に飽くことがない
自分の魂に快いものを欠いてまで
誰のために労苦するのか、と思いもしない。
これまた空しく、不幸なことだ。」
自分の魂が震えない、喜ばないことを続けなければならない。しかし大半の人は心の中で疑問に思いながらも、生活のためだとあきらめている。本当にそれでいいのだろうか?自分の魂が快いと思うことをなぜ、追い求めようとしないのだろう。
「一人よりも二人が良い。
共に労苦すれば、その報いは良い。
倒れれば、一人がその友を助け起こす。
倒れても起こしてくれる友のない人は不幸だ。」
自分一人では、正直能力が劣っていると自覚していた場合には、その欠点を補ってくれる人を見つけることができれば幸いだ。一人よりも二人で始めた方が心強いし、なによりも一人ではできない規模のビジネスができる。
一人では倒れたときに終わりだが、倒れても助けてくれたり、倒れているときに色々と代わりを務めてくれることもまた幸せである。
単独で事業を立ち上げるのも悪くはないが、ビジネス上の友を持とう。
[教訓]
〇喜んで楽しんで一生を送ることが幸せだ。
〇起業しなければ自分の本当にやりたい仕事には巡り合えない。
〇一人で不安ならば、二人で起業せよ。ビジネス上の友は貴い。