聖書に以下の事を学ぶ。
飢饉はヨセフの生まれ故郷でも起こっていた。ヨセフの父であるヤコブは、息子たち、つまりヨセフの兄たちに、エジプトへ穀物を買いに行けと命じる。
さて、元々ヨセフがエジプトに奴隷として連れてこられる原因を作ったのは、ヨセフの兄たちであり、ヨセフは兄たちに殺されかけた。その真意は知っていたかどうかはともかく、穴に投げ込まれた。
ひどいことをされたわけだから、常人であれば恨む。最初は、兄たちのことを回し者呼ばわりしたり、末弟を連れてくるまで牢獄に閉じ込めたり、末弟が来たら来たで、彼らが返す際にエジプトの財産である銀の盃を盗んだと言いがかりをつけ、父親であるヤコブを困らせて、兄たちを懲らしめるために末弟を置いていけといったり、数多くの嫌がらせはした。しかしである。ヨセフは兄たちに何と言ったかというと。
「私をエジプトへ売ったことを悔やんだり責める必要はない。命を救うために神が私をあなたたちより先にお遣わしになった。それは、この国にあなたたちの残りのものを与え、あなたたちを生き永らえさせて大いなる救いに至らせるため。私をここへ遣わしたのは、あなたたちではなく神である。」
以上のように言って、本来なら憎むべき兄を赦してしまっている。しかも売られたのは、私たち全員が生き永らえるための神の思し召しときたもんだ。痛い目にあわされたにもかかわらず、それを痛い目であると思わずに、意義がある、試練である、そのように言い切れるのは本当に強い人間だけである。
成功者に共通しているのは、決して人のせいにはしないこと。仮に本当に人の責任であったとしても、必ず、自分の責任にしている。リーダーであれば、少なからず部下の失敗は、監督責任を怠り、任命したリーダーの責任である。
事業を行っていると、人に騙されたりすることもある。しかしそんなときにいちいち騙した奴のせいにしていたら、自分が成長しない。だました奴を信用した自分が人を見る目がなかったと思わなければならない。そうすれば、二度と似たようなだましには合わずに済む。そうやって成功者は数多くの裏切りや騙しを乗り越えて、結果を出し続けているのだ。
何度も裏切られたり、騙されたりする場合には、人の選び方にも注意し、人との対応の仕方も気を付けること。騙す方が悪いには決まっているが、そういう騙す奴を惹きつけてしまったり、裏切られるような態度を自分が取っているのかもしれない。
[教訓]
〇嵌められても、試練と思え、そしてそのために自分はメリットを与えられたと考えよ。
〇嵌めた奴も許してやれ。
〇裏切り行為に会ったら、裏切ったやつを責めるな。その原因は自分のどこにあるかを考えよ。