聖書に以下の事を学ぶ。
神様の使いがソドムを訪れた。そしてロトの家に泊まった。するとソドムの男たちがロトの家を囲み、神様の使いを外に出せという。ロトが自分の娘を差し出すから、客人には手を出さないでくれと懇願する。娘を差し出すとは、ひどい父親だ。まあ、神様の使いだから仕方ないのだろうか。
結局のところ、神様の使いがソドムには正しい者が10人いないと判断し、ソドムを滅ぼすことになった。ロトと妻、そして娘二人に、後ろを振り返らずに避難せよと、神様は命じた。
神様はソドムとゴモラの上に天から硫黄の火を降らせ、これらの町と低地一帯を、町の全住民、地の草木もろとも滅ぼした。しかしロトの妻は後ろを振り返ってしまったため、塩の柱になったという。
実際ソドムとゴモラがどんな罪だったかは明らかにされていないが、一説によると同性愛だったとも言われており(今の時代にはそぐわないが)、そうなるとロトが娘を差し出してもなんともなかっただろう。気になるのは、男たちがロトの家を訪ねたときに、その乱暴未遂行為で、神様の使いが正しき者は10人いないと判断した点だ。非常に浅はかな使いである。ひょっとすると神の使い(おそらく男の姿かたちをしていた)に乱暴でも働こうとして、直感的にいい奴などいないと思ってしまったに違いない。
とんだとばっちりを食らったのは、後ろを振り返るなという神様の言いつけを守らなかったと言っても、塩の柱にされてしまったロトの妻だろう。おそらくロトの妻は、自分が残して来た財産が気になったのではないかとも言われている。
ここで得られる教訓があるとすれば、我々は過去を振り返ったり、拘ったり、未練を感じてはならないということだ。未来に目を向けなければ身を滅ぼすことになる。今のご時世は、特に過去が必ずしも役立たなくなりつつある時代だ。過去の業績があっても、ちょっとした足しにしかならない。以前の成功例も同じこと、過去の成功例をそのままトレースしたとしても、将来の成功事例にはなりはしない。過去は参考にすれども固執するなということである。また自分の過去の実績をひけらかすなともいえる。他人からすればだから何だの一言で終了である。
[教訓]
〇過去は振り返るな。常に前を向け。過去の実績は捨てろ。何の自慢にもならない。
〇過去の成功例に固執すると、成功せずに終わる。