聖書に以下の事を学ぶ。
「自分を過大に評価してはなりません。・・・私たちの一つの体は多くの部分からなっていても、全ての部分が同じ働きをしていないように、・・・一つの体を形作っており、各自は互いに部分なのです。私たちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っていますから、・・・奉仕の賜物を受けて入れば奉仕に専念しなさい。また、教える人は教えに、勧める人は勧めに精を出しなさい。施しをする人は惜しまず施し、指導する人は熱心に指導し・・・」
自分を過小評価するよりも過大評価をした方がいいこともある。今までやったことがない仕事でも、やったことがある、経験は豊富、お任せあれ、と自信満々に言われれば、仕事を依頼する方もそうなのかなと思ってしまう。しかし言ったからには完全にこなさなければならない。期待を壊したら、二度とその仕事は回ってこない。過小評価してしまうと、人間は飛躍できない。今以上の仕事は絶対に回ってこない。少しでも背伸びをした方がいい。無理にジャンプまではしなくてよいから。
自分が自分のことを過大評価するのは、自分のことをよくわかっているからいいが、他人が自らを過大評価しているときは厄介だ。大抵、期待は裏切られる。だから、それが過大評価かどうかを、慎重に吟味する必要がある。その期待に乗っかってしまうと、予定したことがすべて崩れる。
さて、上の文章は、その後の方が意味深い。色々な人には、人それぞれの役割があり、その役割に専念せよとある。一体何が与えられた恵みなのか、天賦の才能なのかよくわからない。ほとんどの人はそれに気づく前に一生終わってしまう。
但し、自分でしたいことよりは、人からの評価を素直に聞いた方がいい。人に評価されていることが、その人にとっての天賦の才能なのだ、それがやりたいかやりたくないかに関わらず。そして、今の仕事をコツコツと、全力でやり切ること。頼まれたことをしっかりやること、頼まれてもいないことでも、その人のためだと思えば、全力でサポートしてあげること。当然独りよがりの考えではなくて、その人が望むことを本当に理解した上で、先回りして取り組むことだ。先手を打てば、大抵、人からは喜ばれる。自分が手足を動かさなくても既に、その結果が出ているからだ。魔法使いにも思えてしまう。
社長が朝の一杯のコーヒーを望んでいるのならば、その銘柄を心得て、用意しておくだけでも、印象は随分変わる。たかがお茶くみなんてとは言わずに。社長の気分が良くなれば、会社全体の気分が良くなることが多い。
[教訓]
〇自分のしたいことよりも、評価されていることをコツコツと全力でやり切れ。いずれ自分のやりたい仕事になる。
〇自分を過大評価も過小評価もするな。