聖書に以下の事を学ぶ。
「ある枝が折り取られ、野生のオリーブであるあなたが、その代わりに接ぎ木され、根から豊かな養分を受けるようになったからと言って、折り取られた枝に対して誇ってはなりません。誇ったところであなたが根を支えているのではなく、根があなたを支えているのです。」
ここでの「ある枝」とは、元々のオリーブの木にあって、年老いて以前のように実を結ばなくなった枝のことだろう。そこに元気なオリーブを接ぎ木することで、また、豊かにオリーブの実を実らせるようにするのだろう。野生のオリーブとは、若々しく、オリーブの実を豊かに実らせる枝のことだ。
これを人間社会に例えてみよう、大企業で最近、中高年の人減らしが激しくなっている。そうして若い人間を使おうとする。いつのまに大企業もプロ野球やJリーグになってしまったのだろうかと。もっとも野球やサッカーで40半ばでプレーしている選手はそれほど多くないから、スポーツ選手のプラス10年と言ったところか。
中高年はコストパフォーマンスが悪いから、さよならね、とやられる。そして若い人が代わりに企業戦士としてその役割を担う。でもその若い人も同じくらいの中高年になるとまた捨てられる。まさに日本の雇用の崩壊だ。しかし今までの企業を形作ってきたのは、あくまでもその中高年なのだ。だから、彼らを切って新しく若い人が就任したからと言って、中高年は使えないから切られた、と思ってはいけない。
また、所詮根っこという会社の本体が雇われサラリーマンに給料を払っているのだから、何の自慢にもならない。そして所詮若い奴も年を取れば同じ目に合う。
会社のアウトソーシングにも似たところがある。社内リソースを社外に出す、その下請け業者をとっかえひっかえする。以前の業者が切られ、新しい業者に委託する。そのときに行われているのは、そのほとんどが、安いからというリプレイスだ。
B2Bの営業において、安いというのは武器だ。同じパフォーマンスであれば、安い方がいいに決まっている。しかし所詮安物は安物であるとどこかで気づかされることになる。
これも受託している方は、フリーランサーだったり、会社だったりして、独立気分を味わっているかもしれないが、体のいい安い従業員と何ら変わりない。労働法制が関係ないから、無理もきく。残業はさせ放題になる。それが嫌なら、契約を切るまでの話だ。
だから若いオリーブの木だからと言って、誇ることなど何もない。結局は大企業からお金をもらって生活することしかできないのだから。
[教訓]
〇今、若いといって重宝されても、いずれ切られる身となることを自覚せよ。企業からの仕事を受けている限りは。顧客の仕事を直接やる仕事にシフトせよ。