聖書に以下の事を学ぶ。
「これらの小さなものを1人でも軽んじないように気をつけなさい。・・・ある人が羊を百匹持っていて、その1匹が迷い出たとすれば、99匹を山に残しておいて、迷い出た1匹を探しに行かないだろうか。はっきり言っておくが、もしそれを見つけたら迷わずにいた99匹より、その1匹のことを喜ぶだろう。そのように、これらの小さなものが1人でも滅びることは、あなた方の天の父の御心ではない」
集団を背負う覚悟を持ったリーダーは、その中の1人も必ず大切にすること、という教えだろう。非生産的な人は首を切るべきだというのと、ここでの1匹は立場が異なると言える。どちらかというと、ドジな1匹である言える。
迷ってしまうわけだからドジなのだ。それを大切にするリーダーの姿を見て、それをどう思うかは二種類あるかもしれない。そんなドジを構っていたら時間の無駄だよと思うか、あるいはあんなドジでも社長は見捨てないのか、と思うかである。後はこのドジの度合いだろう。かえって足を引っ張られ、毎度のことながら集団の輪を乱す奴であれば、士気に影響する。しかし、ドジなのだが、可愛げがあり、本当に一生懸命であれば、周りのスタッフも力を貸す気になれる。
少し別の意味での中国の故事がある。
郭隗が言うには、
「わたくしはこのような話を聞いたことがあります。 昔、ある君主が千金で千里の馬を求めようとしました。 三年たっても買うことができません。 近臣の一人が『わたくしに買いに行かせてください』と申し出ました。 君主はこれを遣いにやりました。三ヶ月後、千里の馬を見つけましたが、馬はすでに死んでおり、五百金でその首を買って、君主に復命しました。 君主は激怒して言いました。『わしが欲しいのは生きている馬だ。 死んだ馬に五百金も使って何になる』近臣が答えて言いますには、『死んだ馬でさえ五百金で買うのだから、生きた馬であればなおさらのこと。 世間の人々は王様であれば馬をお買い上げくださると考えるに違いなく、今に馬の方からやってくるでしょう』と。 すると、一年もたたぬうちに、千里の馬が三頭も集まりました。
(戦国策・燕策)
いわゆる「死馬の骨を買う」であり、その意味は、優れた者を集めるために凡人を優遇すること。また、人材を求めるのに熱心なことであるが、ドジでも優遇されるのであれば、うちらはもっと優遇されるに違いないと思うかもしれない。もっとも本当に優遇しなければ士気が下がる。しかもドジはちょっとでも上手くやれば、つまり、当たり前のことができただけでも、上の例で言えば、他の99匹と同じように迷わなければ、他の99匹の前で、大きく褒めてやるといいのだそうだ。そうすると次はもっと適切に動こうとする。そうやって人を育て、組織を育てるのが、優秀なリーダーというものである。
[教訓]
〇経営者はドジな従業員こそ、少しでもまともにできたらほめてやれ。伸びしろがあるものだ。
〇経営者はドジな従業員こそ、優遇せよ、但しえこひいきはするな。優遇するだけなら、優秀な自分はもっと優遇されるだろうと奮起する。但し、えこひいきしたら優秀な人材のモチベーションが下がる。