聖書に以下の事を学ぶ。
「監督は非の打ちどころがなく、一人の妻の夫であり、節制し、分別があり、礼儀正しく、客を親切にもてなし、よく教えることができなければなりません。また、酒におぼれず、乱暴でなく、寛容で、争いを好まず、金銭に執着せず、自分の家庭を良く納め、常に品位を保って子供たちを従順なものに育てている人でなければなりません。」
監督となっているが、リーダーや経営者と言い換えることができる。経営者は家族を持たなければだめらしい、というのは一つの比喩として考えればいい。さて、これをリスト化して、自分が経営者にふさわしいかを考えてみよう。
まずは節制できているか。これは辞書によれば、
欲を抑えて慎み、適度な飲食や規則正しい生活を心がけ、健康に気を配っているか。ここでダメな人もいるのではないか。経営者はそれこそ体が資本だ。特に健康には気を付けるべきだろう。ちなみにギリシャ語のソープロシュネー(思慮の健全さ)が語源のようだ。
次に分別があるか。これは、道理を良くわきまえているか、物事の善悪、損得をよく考えられるか。また、礼儀正しく、客を親切にもてなすことは客商売であれば当然のこと。
そして、良く教えられるか。経営者というだけでなく、部下を持ったら、一番悩みどころでもある。吸収力のある人材であればいいのだが、何度でも同じミスを犯す人がいて、相当仕組化してあげたり、相当簡単な仕事だけしか渡せないとか、自分がチェックしないと任せられない人もいる。結局自分がやった方が早くなってしまう、そう思った時点で管理者としては失格だということだ。
酒におぼれず、乱暴でないのは、これも当たり前。寛容で争いを好まない。これは非常に重要だ。すぐに怒る経営者がいる。スタッフは委縮するし、取引先にも堂々と怒る。正直失礼だ。ここまでくると単なるモンスタークレーマーなのだが、会社同士の取引においてこちらが客だから、上だと思った瞬間に、この人の経営者としての能力に疑問が付く。無用な争うなど避けた方がいい、他のことにエネルギーを使えと言いたい。
やはり金銭に執着しないのは重要。経営者で守銭奴は考えものだ。そういう経営者は、従業員への支払もケチり、自分の懐に多くのお金を入れようとする。そういった姿勢をいつかは従業員も感じ取って、会社への忠誠心を失う。従業員が従わない会社であれば、その会社に未来はない。
後は、子供を育てるところに言及しているが、これは会社であれば部下と考えたい。
「常に品位を保って部下を従順なものに育てているか?」
ここで従順ということは、会社に従順とは意味しない。あくまでも経営の成功法則に従順かどうかだ。経営者が誤っていれば、それを正してくれる部下の方が有用だ。イエスマンなど何の役にも立たない。そういう会社ばかりになったら、そんな会社にも未来はない。自分に小言を言ってくれる部下こそ大切にせよ。それをないがしろにするようになったら終わりと思え。
[教訓]
〇経営者の品格。節制できているか。分別があるか。部下に物事をきちんと教えられるか。自分が金銭に執着していないか。そして従業員に、経営の成功法則に沿ったビジネスの方法を取れる人材に育てられるか。