聖書に以下の事を学ぶ。
「自分自身を知恵ある者と見るな。
主を畏れ、悪を避けよ。
そうすれば、あなたの筋肉は柔軟になり
あなたの骨は潤されるであろう」
大学の図書館に行くと膨大な本がある。学生時代においても、全世界の知識を得るならば、この本を全部読んで理解しなければならないのか、はっきり言って無理だ、と思ったものだ。どう考えても自分自身を知恵ある者と見ることはできない。もちろん、知識と知恵は別物だから、図書館の本を読破したと言っても、知恵ある者にはなることはないが。
得た知識というものはすぐに陳腐化する。数年で使い物にならなくなる知識も多いと思う。それと比べれば、まだ知恵の方が長持ちしそうだ。
「自分自身を知恵ある者と見ず、主を畏れよ」とは、誰かからのアドバイスを得たときに、仮に自分よりも年下だからとか、学歴が低いからとか、そんな理由でその人の知識を軽んじてはいけないということだ。自分が時代遅れになっていることもあるかもしれない。色々な人のアドバイスに耳を傾け、常に自分の脳のキャパシティを開放しておくことだ。そうすれば、柔軟性のある考え方や、信念という骨をしっかり持つこともできる。
「わが子よ、主の諭しを拒むな
主の懲らしめを避けるな、
可愛い息子を懲らしめる父のように
主は愛する者を懲らしめられる。」
事業をやっていると上手くいかないことはしょっちゅうだ。新しいことを仕掛けて、お金が稼げないとき、そもそもこの新しいことは本当に意義があるのか、伝え方が間違っているのではないか、と色々と考え直すことになる。
色々やっても芽が出ないこと、これは主の懲らしめである。神様が、こっちの扉には来るな、とその扉を閉ざしているかのようだ。そういうときには素直にその道に進むことを辞めてみる。何でも新しいことや、この世にないことがいいこととは限らないし、本来ならばそれが魅力的なサービスながらも、既存のサービスがいくらコスト高であろうと、簡単に変えられなかったりもする。契約上の縛り、変えてしまって、売上が下がってしまったらといった恐怖である。
それらを改善した結果、芽が出ることはある。その改善が完全になされない限りは神様からの懲らしめは続く。
[教訓]
〇色々な人のアドバイスに耳を傾け、常に自分の脳のキャパシティを開放しろ。そうすれば、柔軟性のある考え方を持つことができる。
〇事業が上手くいかないときは、まだ改善が足りない。もっと改善しろ。すぐに改善しろ。