ラインハルトが人選を誤ってレンネンカンプを選んだとすれば、レンネンカンプは人選を誤ってラッツェルを選んだ。
「レンネンカンプ氏にご退場いただくのはいいが、問題は後任だ。無責任で物欲が強く、皇帝の目が届かないのをいいことに小悪にふけるような佞臣タイプの人物が、こちらにとっては、一番利用しやすい。だが、皇帝ラインハルトは今までのところ、そんな人物を一人も登用していない」
「皇帝ラインハルトが君主として堕落すれば、そんな人物を登用するでしょうね」
「ああ、君は事態の本質をついたな。その通りだ」
(解説)
どんな優れたリーダーでも、人選が誤るということはある。そして一度人選が誤ってしまうと、さらなる人選もまた誤ることになる。しかし人選が誤るだけならば、後に必ず修正されよう。一番の問題は、リーダー自体が堕落しているときだ。
よく国会議員が不祥事を起こすと、総理大臣の任命責任となる。まあ、部下というものは上司の鏡のようなもので、部下が犯罪を犯すということは、大なり小なり、上司も似たようなことをやっているといってよい。犯罪を犯しているといいたいわけではなくて、それに近いことぐらいはしているだろうということだ。
小悪にふける佞臣タイプの人間がいるということは、間違いなく、リーダーそのものが小悪にふけっている。もちろん、たまたまそんな部下に当たってしまう不幸もあるかもしれない。リーダーはそれなりに立派でも、管理しきれていないということはある。ただ、リーダーは管理をしなければならないし、部下の責任はリーダーの責任である。任命責任で逃げてよいものではない。別にリーダーも辞める必要があるといいたいわけではない。総理大臣が辞めるのは勝手だが、会社の社長がすぐに辞められても困る。
スタッフが不正を働きやすい組織は、リーダーもまた不正を働きやすい。組織は全体的に金太郎飴である。そのため、リーダーが自らを律し、不正を行わないこと、その風紀は下に伝わり、部下も不正を犯しやすくなる。みんなやっている、という気持ちが、安易に不正を起こさせることになる。
(教訓)
〇部下は上司の鏡。部下が不正をしているということは、また会社の上層部も不正をしている。
〇リーダーが不正を起こさなければ、その風紀が下に伝わり、部下が不正を起こしにくくなる。