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担がれてしまう経営者が本物

政治家二人、ジョアン・レベロとホワン・ルイが、あるレストランで夕食を共にしていた。・・・
「ヤン・ウェンリーの独裁者としての資質か。こいつは興味深い命題だな」・・・
「独裁者という名のカクテルを作るには、たくさんのエッセンスが必要でね。独善的でもいいからゆるぎない信念と使命感、自己の正義を最大限に表現する能力、敵対者を自己の敵ではなく正義に敵とみなす主観の強さ・・・」
「なるほど、ヤン・ウェンリーの場合は?」
「まあ、ちょっと無理だろうな。ヤン・ウェンリーと言う青年は、中々うまいカクテルだが、独裁者になるための成分には欠けていると私は見る。むろん、知性や道徳性の問題じゃない。自己の無謬性に対する確信と、権力への恋愛感情。この二つが彼には欠けている・・・」
・・・
「さしあたり、私の結論。ヤン・ウェンリーは独裁者にはなれんよ。少なくとも本人にその意思はない」
「本人の意思だけで状況が展開するとは限るまい」

(解説)
才能があればあるほど、魅力があればあるほど、妬まれるし、恐れられる。権力志向のある人間からしてみれば、才能と魅力、名声を兼ね備えた人間を注視せざるを得なくなる。そこで、ヤンである。当人は権力など全く関心がなく、年金をもらって歴史書を書きたいという。ヤンと自分の違いは、才能と実績が自分にないだけ。もちろんそれが成功者との大きな違いではあるが。

政治家が独裁者についてその要素を抽出している。①独善的でもいいからゆるぎない信念と使命感、②自己の正義を最大限に表現する能力、③敵対者を自己の敵ではなく正義の敵とみなす主観の強さ。これ、独裁者じゃなくて、ときの権力者全員に言えることではないかと思う。

スケールを小さく考えれば、経営者も似たようなものかもしれない。おそらく時の権力者との最大の違いは、そんじょそこらの経営者は、色々な奴から、結局は性根がバレるということなのだろう。独善的であれば、信念や使命感を持っていても、そのうち、部下から見捨てられる。正義とは言っても、より多くの関係者が、その正義をその関係者の正義と同視しなければ、これもまた見捨てられる。

結局ヤンは、全く権力に関心がなかったが、最終的には周囲の人間から望まれ、担がれてしまう。そういう人物こそ、なりたくてなった経営者よりも、実は経営者に相応しいと思う。利己的にならないからだ。

(教訓)
〇経営者はゆるぎなき信念や使命感があったとしても、独善的であってはならぬ。
〇結局は能力や人望があり、自分でなりたい思わず、担がれた経営者の方が名君となる。

この記事を書いた人
経営学博士。経営学は座学より実学をモットーに大学院在学時より、サラリーマンで修業。一部上場企業の財務、メガバンクでの不良債権処理、 上場支援、上場後の投資家向け広報、M&A、事業承継等を経験。 数千の経営者と身近に接することが多く、数多くの成功例や失敗例を見てきた。 一人でも多くの成功者を輩出することが自らの天職と考え、現在は独立し、起業家に対して、ファイナンスやマネジメントまわりのサポートを行っている。 起業家モチベーター。
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