歴史というものは過去で完結しているわけではなくて、まかれた種が地に潜っても、いつかは実る。これはヤン提督からではなくて、今日読まされた通信教育の歴史のテキストに合った文章だ。
その通りには違いないけど、ちょっと当たり前すぎるようだ。
僕は目下のところ、過去の歴史より、現在歴史を作りつつある人、例えばヤン提督や帝国のローエングラム公の方に関心がある。歴史の結果より原因の方に属したいと思う。
(解説)
歴史を作る人間になるとは、非常に大それた話である。教科書に載るくらいの人間に、ということであれば、多くの人間にとってはほぼ不可能な話である。むしろ教科書に載ることを目標とするなら凶悪犯にでもなった方が早いかもしれない。例えば、我々はジョン・レノンになることはできなくても、ジョン・レノンを殺害したマーク・チャップマンになることはできないこともない。ただ、拳銃を撃っていくら近距離でも、標的に当てることは、相当練習しないときついと思う。しかし、こんな犯罪者になってまで教科書に載りたくないというのが普通の人の本音だろう。そんなことよりは、おとなしく生きていた方が幸せだ。有名になってもいいことは少ない。
法学部にいた友人は、いずれ裁判官になって有斐閣の「判例百選」に乗るくらいの裁判をしたいと言っていた。判例百選に執筆する法学者の方がまだチャンスは大きいかもしれないが、それはそれで、法律の歴史に名を残すと言ってよい。すごく立派なことである。
正直、教科書に載らなきゃいけないということもないだろう。アメリカの経営学者、ピーター・ドラッカーは、「イノベーションを行う企業人こそ、全体として見るならば、歴史家たちが認識しているよりもはるかに大きな影響を人類の歴史に与える。歴史をつくるのは、政治家、軍人、哲学者ではない。一人ひとりの働く人間だ」と言っている。これでいいのだ。
ドラえもんには、「毎日の小さな努力の積み重ねが、歴史を作っていくんだよ!」とある。別に教科書に載らなくたっていいじゃないか。歴史を学ぶことの重要性は否定しないが、歴史を作る方に回るという人生には、深い意義があると思われる。もちろん、自分では歴史を作り得なくても、歴史を作りそうな人間に引っ付いて生きるというのも面白いではないか。
(教訓)
〇歴史を学ぶことは重要だが、歴史を作る方に属せ。
〇歴史を作る人間になれなくても、作りそうな人間に引っ付いて生きろ。
〇毎日の小さな努力の積み重ねが歴史を作る。それで十分ではないか。