皇帝の意向によって、グルックは工部省次官職にとどまった。ラインハルトは、口に出して説明こそしなかったが、工部省の巨大な機構と権限を永続させる意思はなかったのだ。いずれ国家機構と社会体制が安定化すれば、現業部門を民間に委ね、組織を縮小するつもりであった。創業と拡大の時期には、シルヴァーベルヒのような異才のパワーが必要であるが、縮小と安定の時期にはむしろグルックの堅実さが望ましい。グルックを一つの契機として、彼の手に余るような部分を削減していけば、適正な規模と権限の組織が残るであろうと皇帝は見たのである。
レンネンカンプは少将か中将でとどまっていれば自他ともに幸福な男であったのだ。人間には器局というものがあり、それは大きさも形も千差万別で、例えば有能な艦隊指揮官が優秀な弁務官でありうるとは限らない。そこを見誤ったのは確かに皇帝の失敗ではあるが、レンネンカンプが自分自身の価値を下落させた点も否定しえないのだった。
(解説)
創業と拡大の時期、縮小や安定の時期には、それぞれ異なる人材が必要である。経営者そのものもではあるが、経営者は、日本では創業者がそのまま安定期もとどまることが多い。次にやるビジネスが当たる自信がない。そもそも一つのビジネスアイデアをやり抜くだけで精いっぱい。もう二度と創業時の苦労したくない。拡大や安定期でも問題は起こるし、案外エキサイティングだからこのままでもいい。自分の始めたビジネスだから、最後までやる遂げたい。儲けるのだけが目的だったのだから、儲けられていれば新しい事なんてしなくて結構。まあ、千差万別色々な動機がある。一番大きなものは、これといって、大して大きくなってもいないし、借金もあるから、誰も引き受け手がいないんですが、と言うのが一番大きな理由かもしれない。
但し、用いる才能は、企業のステージによって異なることは確かだ。創業期には異才であろうし、安定期や縮小期は堅実さが重要である。第二創業期には、創業期ほどではなくても、それなりの異才が必要であろう。経営者だけでなく、スタッフにもステージに合わせた人材が不可欠である。
人それぞれ、器があって、経営者になれる器、雇われの方が似合う器。中間管理職でも課長くらいが心地よい器。取締役ではなく部長がいい器など、色々あって、出世だけが人生じゃないし、独立だけがいい人生でもない。自分が一番心地よく感じる器を選ぶのが正解だと思う。一番見ていて不幸な器は、経営者としてはふさわしくないのに、経営者になってしまった人かもしれない。自らそのような人生を選んだ人の方が圧倒的に多いが、大抵借金を抱えてにっちもさっちもいかなくなっているのはこのタイプである。
(教訓)
〇会社のステージによって、適した人材の性格は異なる。
〇人それぞれ、色々な役職の器がある。自分が心地よいと思える器を選べれば幸せである。自分の器を考えずに、名誉やお金だけで選んでも、不幸になるだけだ。