「ではブルース・アッシュビー提督の謀殺説はどうかな。これなら十分に興味があると思うが」・・・
「銀河帝国と自由惑星同盟とにまたがる大陰謀さ・・・」
ケーフェンヒラー大佐が笑うと、それをはるかに凌駕する声量で、ブレスブルク中尉が嘲笑した。
「そんな外陰謀をこんな貧弱な辺境の収容所にいるお前が、どうやって突き止めることができるんだ。しかも、何十年も昔のことじゃないか」
「時と場所は関係ない。いくつかの資料と、まともな推理能力さえあれば、真相を知ることができるのだ。事件の当事者以上に、はっきりとな」
(解説)
ヤンが帝国の捕虜集団に捕らえられていたところに、帝国軍捕虜のケーフェンヒラー大佐が自ら志願してヤンと共に捕虜となり、そこでヤンと会話をしていたところを、ヤンを捕えたリーダーであるブレスブルク中尉が割って入ってきた。同盟のブルース・アッシュビーに対して、帝国の裏切り者が帝国軍の情報を流していたため、アッシュビーが伝説的かつ脅威的な戦績を上げられたということも、ケーフェンヒラーは言っていた。そして、ブレスブルクは昔の話や、遠い場所にいたのでは真相は分からない、というが、それに反論したわけだ。
余り近くにいすぎると、問題点が見えにくいということがある。まさに、問題点も灯台下暗しといったところか。目の前の仕事に追われすぎ、物事の本質を掴む余力がないのか、あるいは問題点は気づいているのだが、その問題点の原因を創り出した人間は言いづらいのか、上司に対して遠慮しているのか、とにかく、その問題点を抽出する打ち合わせにおいても、明らかにされない、あるいは明らかにしようとしないのであろう。第三者がズバっと言ってあげることで、議論がようやく前に進むことがある。第三者も「いくつかの資料」と「まともな推理能力」で導いた解にすぎない。
資料が多ければ多いほど、戸惑うこともあるが、自分の推理能力は小さくて済む。資料が少なければ少ないほど、多大なる推理能力を必要とする。ピースの埋まらないジグソーパズルをして、埋まらない箇所が少なければ、こういう絵なんだろうな、と想像しやすいことと同じである。近くで見るとは、ジグソーパズルの全体像を見ずに、一つ一つのパーツを拡大してみているのかもしれない。物事は俯瞰した方がよく見える。
(教訓)
〇問題点も灯台下暗し、俯瞰した方がよく見える。
〇資料が多ければ推理能力も少なくて済み、資料が少なければ多大な推理能力を必要とする。本質を知りたければ、数多くのデータを収集することだ。
〇数多くの資料と、鋭い洞察力が真実への道である。