自分で立てた仮説に、無条件で飛びつくことが、ヤンにはためらわれた。様々な事象を整合的に説明しうるからと言って、その仮説が事実として正しいという事にはならないだろう。むしろそれは、思考停止の原因にすらなる。まだ十分な情報が得られていないのに、好ましい結論に飛びつくのは危険だ。
「先走りは厳禁、厳禁」
ヤンは自分に言い聞かせた。劇的な結論だからと言って、証明する過程をおろそかにして飛びついては、自分だけでなく他人にもやけどを負わせることになりかねない。だが、自分一人の内宇宙で思惟をめぐらせるだけなら、まあ無害であろう。
(解説)
自分の建てた仮説に対して、その仮説を真説にしようとして、様々な資料からそれを補強する証拠を集める輩がいる。それで整合的に説明できるとして、書籍を世に出すのだが、そんなトンデモ学説の方が、ベストセラーになったりしていると、書いた方も読んだ方もアホの極みでしかない。
ベストセラーにはならないまでも、詭弁家にはこういうのが多い。ヤンの言う通り、十分な情報が得られていないのに、自分の好ましいと思う結論を良しとする。それで、自分の仮説を揺るがす情報は、邪説であるかのように叫ぶ。もちろん、自分の中だけで勝手に施行しているだけならば無害なのだが、ベストセラーになるぐらいだから、有害でしかない。
多くの情報を得ることは有用であるが、その取捨選択に主観を加えてはならない。むしろ自分の建てた仮説の方を徹底的に疑うべきだろう。でも多分、ベストセラー作家はそういう思考回路を有していない。「不可能なものを除外していって残ったものがたとえどんなに信じられなくてもそれが真相なんだ」と、これは青山先生の名探偵コナンの一説だが、本当にそのとおりである。
まだ作家であれば、無視をすれば済むが、経営者はそんなことでは困る。従業員は無視をしたくても、生活が懸かっているから無視できるわけがない。だが、経営者も自分の耳をふさぎたくなる情報には、主観的に耳をふさぐようだ。このような人種の会社は継続的な企業にはなり得ない方が多い。経営者に必要なことは、二重人格的な自己否定である。そしてそれによる究極の客観化である。
(教訓)
〇経営者は自分の信じたいことを徹底的に否定する、二重人格的センスが不可欠である。
〇徹底的に疑ってみて、それでも尚且つ、反論しようがない事象ならば、それはきっと真実なのであろう。自分こそ徹底的に疑え。