だが、五世紀にわたって培養された臣民意識、ゴールデンバウム王朝は神聖にして不滅である、といういわば先天的な洗脳の成果が、ロイエンタールの足首に見えざる鉄の輪をはめていた。彼は大地を蹴りつけることはできても、飛翔することはできなかった。
ラインハルトがゴールデンバウム王朝の妥当と帝位の簒奪を志していると知ったとき、ロイエンタールの衝撃は小さいものではなかった。彼が超越し得なかった心理的障壁を9歳年少の若者が、黄金の翼によって、高く遠く飛び越えようとしている。
「偉人と、凡庸の徒では、かくも志の大きさに差があるものか」
(解説)
どんな社会であっても、社会的な洗脳はある。我々の一般認識としては、お金を稼いだ者が成功者、お金を稼げない者は失敗者と言う烙印、あるいは超有名企業で働いている人は人格者、そんじょそこらのフリーターはその逆、と言う烙印もあるだろう。いつの間にか、バレンタインにはチョコレートを上げるもの、と言うのも洗脳以外の何物でもないし、すでに形骸化したが、バブル当時には、クリスマスイブに一緒にいる相手がいなければ、それこそ人生の落後者だった。いつの間にかクリぼっちが当たり前の価値観になりつつある。社会的な洗脳とは恐ろしい。
今の世の中に、クーデターなんて大それたものでしかないが、権力を握りたい者にとっては一手段にすぎない。そうは言っても、国家権力にたてつくのは現実的に難しい、クーデターを起こしても大抵は弾圧され、単なる犯罪者で終わってしまう。だから、普通の人は、政府のやることに耳をふさぎ、目をふさぎ、口を閉ざして生きている。しかし勝てば官軍。成功すれば一気に英雄である。政治的に考えれば、危ない人呼ばわりしかされないが。ビジネスの世界では、クーデター的なマーケットシェアひっくり返しは、結構起きている。それを起こす起業家は、一般人からは始めたときは大それたことを考える人だと思われている。もう一歩踏み込んで、バカか、と思っている人の方が多い。そこで、偉人と凡人の差が生まれてしまうのだ。社会的な洗脳で、無理だと思われていることでもチャレンジしてしまう。この人は社会的な洗脳をモノともしていない賢い人間である。既存の常識に反することができてしまうすごい人なのだ。
我々一般人は、自らがマーケットメーカー(ビジネスの世界のクーデターを起こす人)になれるわけはないので、そのような偉人を見つけて、付いていくしかない。変人と天才は紙一重。世の中の常識をその人の中の非常識とできる人が、偉人と凡人を分ける。社会の洗脳にやられていない人ってのは、大物になるポテンシャルを持っているというわけだ。
例えば、最初に戻って、バレンタインにチョコレートを買ったり、ホワイトデーにお返ししたり、クリスマスになるべく異性と一緒にいようとする人間は、マーケットメーカーからすると単なるカモである。もちろん、他人を批判できる身分ではないが。
(教訓)
〇成功者は社会の常識を疑って行動ができる。
〇マーケットメーカーになれ、カモになるな。