マリーンドルフ伯フランツが思うに、皇帝ラインハルトは偉大な天才児だが、天才とは精神的エネルギーの量が常人と比較して著しく膨大なわけではない。むろん幾分かは多いに違いないが、むしろ特定の分野に偏在しているのであって、水を入れたコップを傾けたように、一部は深くなるが、一部は帰って浅くなる。古代の偉大な天文学者が夜空を見上げて星の運行を研究するうちに誤って井戸に落ちた、という有名な逸話があるように、その「浅さ」は日常レベルにおいて発現することが多い。
(解説)
全ての事において天才、と言うのは難しい。天才は一つの事に特化し、その一つの事に関しては常人が全く敵わない才能を有する。
人間、一つの事だけでもできれば十分である。天才は特化型と言える。いわゆる汎用型ではない。そのため、あることをやらせたらすごいが、他の事をやらせたらまるでだめと言う人も少なくない。
我々は社会的な成功者に対して、聖人君子を求める。ある天才ミュージシャンが浮気や借金をしただけでも、驚くが、別に音楽が天才であることと、社会人としての常識があるとかないというのは別の話である。
それに何をやってもそつなくこなす方が、人間的でもない。天才には普通の人が普通にできることができないという事はよくある。
実は、皆が知る天才、アインシュタインは暗記が苦手でした。日本にいたら、大学へ行けない落ちこぼれだったことでしょう。しかしその代わり、洞察力、理解力、達観力がずば抜けていました。何かの才能が圧倒的であれば、別の何かの才能がかけているものなのです。我々はその一つの事だけを取り上げて、絶賛しているだけなのです。
我々凡人は全くもって天才には敵わない、と言うのは正しくもあり、間違っているとも言えます。凡人は天才と比較して、ある一つの特化したことに何も優れているものは持ち得ませんが、総合的に何でもできるのです。器用貧乏とはよく言ったものです。
天才も凡人も人間の総合力としては変わりません。天才は、ある一つにそのエネルギーを注注させることができるだけなのです。そう考えれば、凡人も捨てたもんじゃありませんよね。何の慰めにもなっていないのですが・
(教訓)
〇天才は一つの事に集中的にエネルギーをぶつけられるだけ。特化したことはすごくても、その他はまるで抜けているということは珍しくない。
〇人間としての能力の総合力は、天才も凡人も実は変わらない。