歴史家イブン・シャーマは嘆息する。
「・・・この時期、精神面における地球の衰退は、既に深いものとなっていた。公正さに背いても既得権を確保したい、と望み、反対者を抑圧することによってその確保を絶対のものとしようとする精神のどこに、向上と進歩への余地が残されているであろうか」
(解説)
ある程度の地位を治めると、今を守ろうとしてしまう。なまじある程度力がある者だから、新参者を蹴り飛ばすくらいはできる。力がある者が強いのは当たり前、それは公平さに欠く行為でもある。力があるのならば、弱者を引き上げてあげるくらいのことはせよ。それが力のある者の義務である。
会社の経営者は、とかく、自分の会社を私有物だと考える。他にスタッフがいなければ、個人事業なんだから、それでいい。しかし、利害関係者が増えてきたら、会社は私有物ではない。公器になるのだ。自分のものだから自分の勝手にできる、と思い込むのも致し方がなくも見えるが、その会社の箱で、生活をしなければならないスタッフが出てきたら、もはや公器として、自分の好き勝手にはできないと考えるべきであろう。
自らの意見が絶対で、それに反するものは抑圧する。ときには追い出す。そういった考え方にはまってしまったら、もはやその経営者は、事業を向上させ、進歩させること等ありはしない。あったとしたら、自分の懐を潤そうとする守銭奴的行動しかとらないだろう。
もちろん、会社の経営者が全て、会社を成長させる義務をもっているわけでもない。しかしながら、もはやこれ以上はいいと思った時点で、経営者ではない。それはもはや財産の管理者でしかないのだ。経営者が単なる管理者になったら、片方の足を墓に入れているようなもの。
経営者は、向上と進歩の奴隷でありたいものである。それが社会にとっての付加価値なのだから。
(教訓)
〇経営者は守りに入ったら終わり。経営ではなく、管理である。
〇経営者は、常に向上と進歩の奴隷であれ、社会に付加価値を提供し続けろ。