「卿の主張は、大胆でもあり斬新でもあるが、極端な気もするな。私としては、にわかに首肯はしかねるが、それによって卿は私を説得することを試みているわけなのか」
「そうではないのです・・・」
「・・・私はあなたの主張に対してアンチ・テーゼをして提出しているにすぎません。一つの正義に対して、逆の方角に等量等質の正義が必ず存在するのではないかと思っていますので、それを申し上げてみただけのことです」
「正義は絶対ではなく、一つでさえないというのだな。それが卿の信念というわけか」・・・
「これは私がそう思っているだけで、あるいは宇宙には唯一無二の真理が存在し、それを解明する連立方程式があるのかもしれませんが、それに届くほど私の手は長くないのです」・・・
「私は真理など必要としなかった。自分の望むところのものを自由にする力だけが必要だっだ。逆に言えば、嫌いな奴の命令を聞かずに済むだけの力がな。卿はそう思ったことはない。嫌いな奴はいないのか」
(解説)
意見を言ったからと言って、相手に反論したり、同じ考えを持たせよう、というわけではない。ある主張に対して、あえてアンチ・テーゼを提出し、論争の種を与える方法も決して誤りではない。反対意見を述べたことで、あいつは気に入らないとか思うべきではない。民主主義では議論こそが必要だ。議論がなくなったら民主主義の意味がない。
正義ほど、いい加減な定義はない。立場の違い毎に正義の定義があるといってよい。そしてその正義には、善悪や優越があるわけではない。しかし自分と異質の考え方を排除しようとする輩は少なくない。そういう奴こそ、民主主義の敵だと思う。
ラインハルトは真理よりも、自分の自由が欲しかったという。それは力を持たなければならない。命令を聞いているからこそ、ヤンはラインハルトに勝てなかったのだから。
嫌いな奴の命令を聞かずに済む力。それは会社としては、社長になる以外にはない。そうはいっても、融資を受ければ、銀行からいろいろ言われ、お金の支払が遅れれば、取引先から文句を言われ、給料を払っているのに、従業員からは文句を言われ、顧客からはわがままを言われ、力がなければ、そんなものである。
だからこそ、力を持つのだ。遠慮はいらない。力こそが正義というではないか。
(教訓)
〇嫌いな奴の命令を聞かずに済むためには、まずは社長にならなければならない。
〇売り上げを拡大して、お金を支払う立場になるか、もしくは自分たちの代替品がなければ、誰からも文句を言われることもなくなる。
〇力こそが正義なのだ。