世界の歴史を題材とした起業家応援メディア

迷ったら、自分が正しいと思う道を進め

例えそれが正しい道であっても、他者に強制されたり操られたりして歩むのは、ヤンはいやであった。これは彼自身の好みの問題であって他人に強制しようとは思わない。それはかなりグロテスクな矛盾を生じることになる。一方で、他人に強制された道を喜んで歩む人間と、親しく付き合う気になれないことも確かである。

自分で好きな道を歩めば、穴に落ちても文句は言えない。文句を言うつもりも、ヤンにはない。ぼやきたくなるときはいくらもあるが、聖人ならぬ身であれば、この程度は許容してもらおう。

(解説)
正しい道を進むのが幸せなのか。それが他者から強制された正しい道だったらどうか?自分で正しいと思う道を進むのが幸せなのか。それが結果として間違った道だったらどうか?

結局のところ、その人の価値観ではあるのだが、地球が生まれてから46億年。どんなに人間が生きたところでたかが100年足らず。どちらの道が正しいだの間違っているなど、神様からしてみれば、目くそ、耳くそ、鼻くその大きさ比べのようで下らない。だいたい何をもって正しいとか間違っているとかいうのだろう。

専制国家であれば、君主がこれが正しいと決めたことを履行しないと罪になる。自由主義・民主主義国家であれば、基本的なルールはあれども、その範囲の中で自分が正しいと思ったことを履行できる自由がある。どちらがいいかと言えば、後者だが、実は「基本的なルール」というのが、根本的に胡散臭い。これが自由や民主主義の理念を無効にするぐらいの拘束力がある。この基本的なルール、法律であれば、従うのは当然である。

さて、何を持って正しいというかはさておき、サラリーマンになると、会社の方針に左右される、つまり他人に強制され、操られるという道を享受することになる。それも人生であるが、起業家は、どうもこの雇われ人との相性は非常に良くない。

自分でやれば、上手くいくわけではない。しかし、人に強制されて、穴のない道を歩むよりも、自分で選んだ道で落とし穴にはまって落ちることがあったとしても、大けがしなければまあいいだろう。自分の目で歩いていれば、否が応でも注意するものだ。今の世の中、人に強制された結果、大穴に落ちてしまうことも十分にあり得るようになってしまった。つまり、目の前に大穴が開いていても、目をつぶって渡れ、と上司に言われれば穴に落ちることを覚悟で進まざるを得ない。コロナに係る可能性が高くても、出社しろ、通勤電車に乗ってこい。それも一つの落ちる大穴になり得るではないか。

結局、何が正しいか間違っているかは死ぬことにならないと分からない。そうであれば、自分で正しいと思った道を進む以外にはない。自分で常に責任をもって選択せよ。他人の指示なんざに従うな。

(教訓)
〇昔は、人に強制された道の方が穴に落ちる可能性は少なかった。しかし、今の世の中、人に強制された道に大穴があっても目をつぶって渡らざるを得ない世の中になってしまった。
〇自分で選んだ道で穴に落ちれば、我慢もできる。大けがをしなければいいし、見る目が身につく。
〇死ぬときになってみないと、自分の人生が正しかったか間違っていたかがわからない。常に自分で正しいと思った道を選べ。

この記事を書いた人
経営学博士。経営学は座学より実学をモットーに大学院在学時より、サラリーマンで修業。一部上場企業の財務、メガバンクでの不良債権処理、 上場支援、上場後の投資家向け広報、M&A、事業承継等を経験。 数千の経営者と身近に接することが多く、数多くの成功例や失敗例を見てきた。 一人でも多くの成功者を輩出することが自らの天職と考え、現在は独立し、起業家に対して、ファイナンスやマネジメントまわりのサポートを行っている。 起業家モチベーター。
SNSでフォローする