「ヤン・ウェンリー帰還す!エル・ファシルの奇蹟再び!」
「・・・これだ、これだから嫌だったんだ」
ヤンは頭を抱えたが、結局のところ彼は自らの行動と功績によって確立された虚像を演じる以外にはなかった。民主国家の英雄から民主革命の英雄へ、そして不敗の智将としての名声はさらに喧伝されるであろう。
ロムスキーがジャーナリズムとの密着を意図したのは民主共和政治の理念から言っても、革命の情報戦略からいっても、当然の事であった。ヤンは内心の嫌悪を公然化させるわけにいかない。公開こそが民主共和政治の柱であるのだ。秘密や非公開を好むなら専制政治に与するべきであり、ヤンは個人の感情をねじ伏せてカメラに笑顔を向けざるを得なかった。
(解説)
エル・ファシルの奇蹟とは、惑星エル・ファシルから300万人に民間人を救出することで、一躍評価された事件である。ヤンは最終的には自由惑星同盟の元帥まで昇進する。しかしその同盟が帝国軍に監督されるにあたり、同盟から逃亡せざるをえなくなる。結果、民主国家の英雄から民主革命の英雄という立ち位置に、望む望まざるとに関わらず、担ぎ出されてしまった。本人、あまり目立ちたがりではないため、「虚像」を演じることを已むなくされる。
他人から作られる「虚像」というものは、メディアバリューのある者にはどうしても付きまとう。自分はこんな人間じゃないと叫んだところで、虚像は独り歩きする。芸能人等の社会的に有名な人たちもそうだろう。政治家にしたって、本当は家庭的ないいオッサンなのだが、悪辣な描き方をされるときもある。逆に聖人君子のような人物が、本当のところは腹黒いオッサンであるといったこともある。全てはメディアが作り出した虚像にすぎない。それでも、それが自分を宣伝するための道具であるならば、甘んじて利用せざるを得ないこともあるだろう。
フランチェシク・ロムスキーはエル・ファシルの自治政府の首席である。ロムスキーにヤンは上手く持ち上げられてしまっているわけだが、リーダーに担ぎ上げられてしまった以上、内心を表すわけにもいかない。虚像としてのいい人を演じなければならない。そこでは個人の感情をねじ伏せる必要も出てくる。リーダーとは自分を隠して生きなければならない損な役回りでもある。
公開が民主共和政治の柱。。。どこぞの国を見ていると、隠蔽こそが美徳に見えてならない。いずれにしても、会社自体も隠蔽こそが美徳になっては困る。いずれ大洪水に見舞われることになりますぞ。
(教訓)
〇経営者は、虚像を演じざるを得ないと心得よ。
〇自らの会社は隠ぺいを美徳にするな。