ボブラン少佐は、上官であるヤン提督のことをどう思っているのだろう。
「そうだな、俺がヤン・ウェンリー以外の司令官の下で、俺自身でいられると思うかい?」
僕は首を横に振った。少佐は緑色の瞳に笑いを浮かべた。
「強いて言えばアレクサンドル・ビュコックの爺さんぐらいだろうが、それでも少しはこちらが窮屈さというか、遠慮を感じるだろうな。ヤン・ウェンリーだと、それを感じずに済む。俺が喜んでヤン提督の下にいるのは、つまるところ俺が俺自身でいたいからだ」
(解説)
ユリアンはボブランにヤンのことをどう思っているか聞いてみた。そうすると、ヤンの元にいると自分は自分でいられるという。非常に重要なことだ。
社会生活を営む上で、わがままは言えないことは分かるが、なぜ、そこまで我慢をして、自分を偽って、生きなければならないのか、疑問に思える。そして、自分らしくない自分を好きになれるのも、ある意味すごいなと思う。
自分が自分でいられるときに、自分は最も輝けると思う。自分の苦手なことをやっていて、さらに自分の得性が全く生かされない仕事をしていて、人生つまらないなと感じることはないだろうか。そうは言っても、生活をしていかなければならないし、何らか働かなければならないことは確かである。
よく男女間で、自分が自分でいられる人と一緒にいると幸せ、という。わがままでいられるというのとは違うと思う。社会生活を営む中で、自分がやりたいようにやって、相手を犠牲にするのは問題だろう。相手に不快に思われない程度に、自分が好きなことを好きなようにするのが、最低限のマナーだ。でも素でいられるのは大事だろう。自分が好きでもない趣味があったとして、相手に合わせるのはきつい。関心のないことは関心がない、と言えることが自分が素でいられることの一つだろう。
家族生活や生活のパートナーだって、自分が自分でいられるかを問題にするのであれば、仕事だってそれを求めて、何が悪いのだと思う。自分が自分でいられる上司、自分が自分でいられる場所で、最大のパフォーマンスを発揮することが、自分も含め、自分を取り巻く人たちにとっても最も望ましいことになるのではないか。嫌々ながら仕事をしていたら、最高のパフォーマンスなんて発揮できるわけがないだろう。
(教訓)
〇自分に素直になって、自分が自分でいられる場所で働け。
〇死んだら全てなくなるのだ。生きているうちは自分らしく生きよう。仕事では特にだ。