一度だけ、ヤン提督に叱られたことがある。隣家の小鳥を預かって、餌をやるのを忘れ、フライングボールの試合に行ってしまったのだ。試合に勝って、僕はチーム得点の過半数を一人で上げた、意気揚々と引き上げてきたら、提督が不器用な手つきで、小鳥に餌をやっているところだった。立ちすくんだ僕に、提督は厳しく申し渡した。
「ユリアン、ユリアン、今日はお前、夕食抜きだよ。理由は分かっているだろうね?」
叱られただけなら、そんなに徹えなかったかもしれない。ヤン提督は、僕に夕食抜きを銘じただけでなく、自分も夕食を抜いたのだ。自分じゃ食事が作れないからさ、と言う意見もあるけど、外食すれば済むことなのだから。
(解説)
罰はプラスよりもマイナスに働くことが多い。罰のマイナス効果は次の通りである。
(a) 罰を与える人に反発心や抵抗心を持つ。
(b) 罰を与える人との人間関係が悪くなる。
(c) 何をしたらよいか、罰だけではわからない。
(d) もっと大きな罰を避けるために、現在の行動を変えない。
別の事例ではあるが、幼稚園の体重測定において、子供たちが体重計の上で動いてしまうのを、動いてはダメ!と叱っても効果はなく、両手を足にぴったりつけましょう、というと、子供たちは従ったそうだ。
当然罰もマイナスばかりではなく、痛い目に合わせるのではなく、真剣にしかっている気持ちが伝われば、子供はそれが悪いことであることを自覚するものだ。
上記で、ヤンはユリアンを叱るときに、ヤン自らの夕食を抜いた。罰を受けたことによって、罰を与えた人にも不利益が生じる状況を作ることで、罰を受けた方が非常に言申し訳ないという気持ちを持つようになる。毎回、そんなことをやっていれば、体がもたないが、部下に罰を与える時に、上司である自分にも罰を与える姿勢は大切である。
また、小鳥に餌を与えなかったころで、自分も食を得られず、小鳥と同じ心境になると思わせるのもまた教育であろう。
(教訓)
〇罰を与える時には、罰を与えた人に対する反発心を持たせない方法を考えろ。
〇部下を叱るときには、叱られた部下だけでなく、った上司にもペナルティを自ら与えれば、申し訳ないという気持ちが増す。