僕の手持ちの教本に、「戦技にも道というものがある」と記してあったのを見て、准将はせせら笑った。
「人殺しの技術に道を云々するほど、俺は堕落していないよ。まさか、ユリアン、人格的に優れた方がトマホークの振り回し合いで勝つなんて思ってやいやしないだろうな?」
むろん、そんなことは思っていない。ヤン提督からも教わったけど、才能と技術と人格を混同するほど愚かなことはない。勝利の原因を道徳的優越に帰するほど、ばかばかしことはないのだ。
(解説)
日本の格闘技は「道」を重んじる。敵との勝利以上に自分との勝利を優先する考え方である。そうは言っても、ビジネスやスポーツに「道」はなければならないのか。人格者が常に勝利者になるのか。現実はどうも異なる。そして人格者でない者が勝利することに対しても、それがルール違反でないのなら、それを咎めるのもお門違いと言える。
勝つためには手段を択ばず。但し、ルールに違反しなければ。格闘技で、相手がけがをしているところを狙うのはスポーツマンシップに反するという意見があるが、別に怪我をしている部分を攻撃してはならないというルールがあるわけでもないから、それを攻撃の手段と考えても、勝つためにはやむを得ないのではないか。それをして、勝利を収めたことで、その勝利に対する価値は格段に下がるかもしれないが、そうした格闘家を責めるのもお門違いだろう。
結局、強者は弱点の少ない者、弱者は弱点の多い者である。勝負の世界で、弱点を責めるのは邪道ではなかろう。ビジネスの基盤に道徳は必要と考えるが、だからと言って、道徳にがんじがらめになる必要もないと思う。ビジネスで守らなければならないのは、ルールだけである。これ以上は何を言っても始まらない。
(教訓)
〇才能と技術と人格を混同するな。
〇ビジネスで守らなければならないのはルールだけである。