「救国軍事会議議長のグリーンヒル大将はどうなさった。お姿が見えないが」
一呼吸おいてエベンスは答えた。
「閣下は自殺された。見事な最期だった」
それを聞いて、フレデリカ・グリーンヒル大尉が低い叫び声をあげ、片手で口を抑えた。・・・
ヤンは言った。
「ええと・・・大尉、その、なんというか・・・気を落とさないように」
彼は宇宙の戦場では、100万、1000万の大軍を自在に指揮することができる。だが、一方では、舌一つ自由に動かせないときもあるのだった。
2時間過ぎて部屋から出てきたフレデリカは、流れるようなスピードで仕事を処理していった。・・・彼女にとっては激務が救いとなったのかもしれない。
(解説)
リンチ少将がグリーンヒル大将を殺害して、クーデター側は降伏をヤンに伝えた。クーデター側のトップであったグリーンヒル大将が降伏時に画面にいないのを不審に思って、ヤンが尋ねたところ、自害したという。娘であるフレデリカはヤンの元にいて、涙した。
指揮権を持った人間は、何千人であろうと何万人であろうと、命令を下して、組織を動かすことができるが、しかし、人心を動かせるかと言うと別の話だ。元気を出せ、と命令することはできない。
人心を掌握する、これはそもそも命令ではできない。体を従わせろ、行動をこちらの意図するように取れ、と命じても、心を従わせ、とは命令できないのだ。
従業員はリーダーを選ぶことができる。しかし、その組織に自分が求めるリーダーがいるかどうかというのは、入社後でないと分からない。しかも書籍を読んで憧れて入社しても、近くで見たらどうも違う、ということはよくあるものだ。
リーダーは八方美人になることもないし、必要以上に甘く接することもない。甘いリーダーよりも厳しいリーダーの方が魅力を感じることもある。但し、後者の場合には、リーダーも相当な人格者でなければならないだろうし、従業員も質が高くなければならないだろう。どちらが欠けても上手くはいかない。私はとにかくお給料がもらえればそれでいい、という質の低い従業員であった場合では、どんなに熱量の強いリーダーでも、その思いが伝わることはないのだから。
従業員も、辛いときに激務が救いとなる、くらいに仕事好きな人を選ぼう。そうでないとお互いに不幸だ。
でも、仕事好きなリーダーの元には、仕事好きな従業員が集まってくる傾向があると思う。従って、銭ゲバなリーダーの元には、銭ゲバな従業員が多くなる。自分が金が好きなのに、部下は安月給で長期的に働いてくれるという虫のいい従業員は長くは続かない。
(教訓)
〇命令することと、人心を掌握することはまるで別物である。
〇従業員には、辛いときに激務が救いとなるくらいの人材を選べ。