22歳を迎えたラインハルトは、生来の華麗な美貌に、憂愁の陰りと支配者としての威厳を加えて、半神信仰のような趣すらある昨今だった。兵士たちにとって、信仰と同質の畏敬をささげるに足る存在であったが、その一つは彼の生活態度にあった。
姉、アンテローゼが去った後、ラインハルトは、官舎の一つに移り住んだ。高級士官用の官舎ではあったが、250億人民と数千の構成世界を支配する権力者の住居としては質素すぎるものであった。
物質的な欲望に乏しい点で、ラインハルトとヤンは軸を一にしている。彼が求めてやまないものは、地上の権力と栄光であったが、それは形として現れないものであった。権力は無論、物質的な充足を約束するものである。・・・
「体制に対する民衆の信頼を得るには、二つのものがあればよい。公平な裁判と。同じく公平な税制度。ただそれだけだ」
(解説)
現実社会には、ラインハルトやヤンのような政治を司る人がまるでいないことに、嘆くしかない。政治家や高級官僚の家を見たり、資産を見るたびに、銭ゲバにしか見えないし、そもそも政治よりも、この人たちは金にしか関心がないことに気づく。美辞麗句を並べ立てようと国民のためなんて思っている人は誰もいないのである。
さて、そんな嘆ききっても何も変わらないのだが、経営者としてはどうだろうか、中には、質素倹約に努める人もいる。ウォーレン・バフェットは相当な資産家ではあるが、家もそれほど一般庶民と違いはないし、食べ物も質素極まりない。どうも日本とアメリカは質が異なるように見える。もちろんアメリカにもウォール街の連中などは銭ゲバだらけだ。アメリカが絶対善とは思わない。
しかし、日本の経営者で質素な人は、ほとんど、事業がそれほどうまくいっていないだけなのが99.9%である。
これだけは言える。自分の役員報酬や資産の額にしか関心がなくなったら、事業家としては終わりだ。もはや何の付加価値も生まない、単なるお飾り野郎だ。事業家であれば、資産があれば、それを事業に投下しようとする。
さて、最後の一文「公平な裁判と公平な税制度」。こんなものですらも、日本にないことに嘆き悲しむしかない。
それをビジネスの世界で考えてみれば、規則の公平な運用と、公平な報酬システムといったところか。これら二つを徹底させて、健全な組織を目指したいところである。健全な組織は未来永劫、継続する。
(教訓)
〇自分の役員報酬や資産の額にしか関心がなくなったら、事業家としては終わり。
〇組織の健全化とは、規則の公平な運用と、公平な報酬システムにある。