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聖人君子が上に立たないとねえ・・・は幻想か

国家というものに幻想を抱く人々は国家が優秀な、あるいは知的・道徳的に偉大な人物によって指導されていると信じているのであろう。ところが、実際にはそうでもないのだ。国家権力の中枢部に位置する人間が、一般市民より思考力において幼稚であり、判断力において不健全であり、道徳水準において劣悪であることは、いくらでも例がある。一般市民より確実に優れているのは、権力を追求する情熱であって、これが正の方向に用いられれば、それは政治と社会を改革し、新しい時代の秩序と繁栄を築く原動力となるが、それは全体の一割にも達するどうか。一つの王朝の歴史を見たとき、それはほとんど、一代で築かれたものが十数代に渡って食いつぶされてゆく過程である。逆に言えば、王朝なり国家なりは、極めて強靭でしぶとい生命体であって、何世代かに一人の偉人が出れば、世紀単位の寿命を長耐えることができるのだ。・・・

英雄や偉人が存在する必要をなくすための制度が民主共和制であるのだが、・・・

(解説)
恐らく日本人の多くが、ヤンが言うように、「国家が優秀な、あるいは知的・道徳的に偉大な人物によって指導されていると信じている」と思われる。そうでなければ、税金をいくら取られても、好き勝手なことをされても、政治家や官僚に対して怒りもしない現状がそれを語っている。

しかし、日本においても、国家権力の中枢部に位置する人間は、思考力において幼稚であり、判断力において不健全であり、道徳水準において劣悪でしかない、ということは、結構コロナショックで気づいた人が多かったのではないか。これで気づけば、国民にとって痛すぎることは確かだが、いい薬になったに違いない。痛みを感じないと改善しないのは、世の常である。まあ、三歩歩けば忘れるだろうが。・・・ていうかもう忘れている(苦笑)。

さて、ビジネスの世界においても、五十歩百歩な感じはぬぐえない。会社の経営をやっているのだから、多少なりともマシではあるのだけれども、確かに思考力は幼稚ではなかろうが、少なくとも判断力は不健全であり、道徳水準が劣悪であることは、従業員の皆様の実感するところではないだろうか。ネットのコラムでも経営者に倫理観はないのか!と叫ぶ者は少なくない。そうは言っても倫理観を求められてもね、と思わなくもない。

リーダーが偉人であれば、組織はしばらく安泰である。しかしリーダーが偉人でない場合もなくはない。本来は、株主が経営者を選ぶ立場にはあるが、オーナー企業であれは経営者=オーナーであることがほとんどだから、何の牽制力もない。良いか悪いかの議論はさておき、日本の有数な企業は、従業員代表が社長になっている側面もある。次第にアングロサクソンの考え方で社長が選ばれるようになっては来ているが、古き良き日本のスタイルは、案外、民主的なのかもしれない。当然、これがベストだということでもない。

(教訓)
〇経営者としては、少なからず、思考力に優れ、判断力は健全で、道徳的水準は高い人物を目指そう。

この記事を書いた人
経営学博士。経営学は座学より実学をモットーに大学院在学時より、サラリーマンで修業。一部上場企業の財務、メガバンクでの不良債権処理、 上場支援、上場後の投資家向け広報、M&A、事業承継等を経験。 数千の経営者と身近に接することが多く、数多くの成功例や失敗例を見てきた。 一人でも多くの成功者を輩出することが自らの天職と考え、現在は独立し、起業家に対して、ファイナンスやマネジメントまわりのサポートを行っている。 起業家モチベーター。
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