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運命の扉が開いたと確信したら、迷わず扉へ飛び込め

ビュコックとウランフは、巧妙に連携して、逃げ戻ってきた第11艦隊の残存兵力をかばいながら後退していく。数度にわたる帝国軍の突進は、その都度柔軟で崩れを見せない防御網にあって食い止められ、致命的な存在を与えぬまま、ついに追撃を断念せざるを得なかった。
「同盟軍にも、できる奴がいるな」
・・・
「さしあたり運命はラインハルトさまに媚を売ったようですね」
「運命等に、俺の人生を左右されてたまるか。俺は自分の長所によって成功し、自分の短所によって滅亡するだろう。全て俺の器量の範囲内だ。おれと、そしてお前が協力すれば、運命などに干渉させないさ」

(解説)
「運命」とは、人の意思を超えて、人の幸せや不幸を与える力のこと、将来の成り行き、と辞書にある。人の運命は決まっているのだ、となってしまったら、努力をしても無駄ということになる。別に努力をしようとしなかろうと、結論は同じなんだろ、じゃあ楽をしようじゃないか、になってしまう。

努力だけですべてが報われるとは一ミリも思っていないが、だからと言って、努力しようがしなかろうが結果は同じだとしたら、誰も何もしたくなくなる。早逝される方はいるが、自分が20歳で死ぬことが初めからわかっていたら、学校には行かないだろうと思う。親だって子供と過ごす時間を選ぶだろう。

実は、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの交響曲第五番、「ジャジャジャジャーン」で始まる、あの有名な曲はなぜ「運命」と呼ばれるのかは、弟子のアントン・シンドラーの「冒頭の4つの音は何を示すのか」という質問に対し「このように運命は扉をたたく」とベートーヴェンが答えたことに由来するとされる。ただ、その信憑は定かではない。

ラインハルトは「運命等に、俺の人生を左右されてたまるか。俺は自分の長所によって成功し、自分の短所によって滅亡するだろう。全て俺の器量の範囲内だ」と言っている。才能があれば、運命は切り開ける。凡人はそんな簡単なわけにいかない、というか凡人になる運命なのかもしれない。

自分的な解釈としては、運命はパラレルワールドの如く複数あって、神様の気まぐれによって変わる。あるドアから運命がドアを叩いてくるが、自分が聴こえない場合もある。聞こえてもドアが見えなかったり、鍵がかかっていたり、遠くて手に届かないところにドアがあったりする。何とかこじ開けて運命を掴むことができる人もいる。結局ドアからの音に気付かず運命を掴めない人もいる。ドアを開いて掴んだと思ったらババを引いたということある。まあ、そんなところではないだろうか。

(教訓)
〇運命がドアを叩いたときに、運命を掴むか掴まないかの選択権が人にはある。

この記事を書いた人
経営学博士。経営学は座学より実学をモットーに大学院在学時より、サラリーマンで修業。一部上場企業の財務、メガバンクでの不良債権処理、 上場支援、上場後の投資家向け広報、M&A、事業承継等を経験。 数千の経営者と身近に接することが多く、数多くの成功例や失敗例を見てきた。 一人でも多くの成功者を輩出することが自らの天職と考え、現在は独立し、起業家に対して、ファイナンスやマネジメントまわりのサポートを行っている。 起業家モチベーター。
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