「開城という事でなく、交渉ということなら、よろしいのではございませんか、陛下」
「交渉?」
「ええ、陛下は昨年、ヤン・ウェンリーとの間に、交渉の場を設けようとなさいました。それを今回、実現なさったらいかがですか。イゼルローン協和政府とやらの首脳たちを、罪人としてではなく、客人としてお迎え遊ばせば、よろしゅうございましょう」
ヒルダにしては妥協的な提案であったが、ラインハルトにとっては受容しやすい意見であった。交渉開始に先立って、政治犯たちを釈放することができるし、交渉が不調に終われば、改めて先端を開けばよい。オーベルシュタインが強引に敷いた軌道は、皇帝によってこそ修正されるべきであろう。
(解説)
オーベルシュタインが、イゼルローン要塞の開城のために、旧同盟の人質を取った事件で、今さら、その人質をそのまま返還するわけにはいかなくなってしまった。そこでヒルダは、イゼルローンの首脳たちが交渉に応ずれば、その人質を解放する、という理屈にすれば、自然に人質を解放できると、ヒルダは考え、ラインハルトに進言した。ラインハルトの面目を保つことも必要であった。
ラインハルトとしてみれば、オーベルシュタインの人質作戦は、自分の考え方とも異なり、完全に判断ミスである。しかし、自分で考えたことではないが、相手もいることであって、一度発言したことや行動したことを撤回するわけにはいかない。ならば、敢えてそのミスを、交渉の条件に組み込んでしまえばいい。つまり判断ミスを作戦の一環、成功への礎にするという考え方だ。
また、部下の組織上のミスは、部下個人にしりぬぐいをさせるという考え方がベターではあるが、上司が修正するという考え方がベストと言える。上記場合は、ミスと言うよりは部下が意図して行ったことに対する行動というのが正解である。部下が自分の考え方が正しいと思った行動を自分で修正するのは、気分的にも乗らないから、ミスの上塗りにもなりかねない。それが組織上のデメリットになるのであればなおさらである。このような場合、自分で尻ぬぐいしろでは、単なる罰ゲームになってしまう。元々、リーダーの選任ミスでもあるわけだし。
(教訓)
〇面目を保つ必要もあるし、判断ミスすらも戦略の一つに組み込むと良い。
〇部下が意図して行った行動による組織上のミスは、自分で尻ぬぐいさせるのがベターだが、上司(あるいは同僚)が修正するのがベストと言える。本人がミスと言う自覚がなければ、ミスの上塗りになる可能性も高い。