「皇妃、予はオーベルシュタインを好いたことは、一度もないのだ。それなのに、顧みると、最も多く、あの男の進言に従ってきたような気がする。あの男は、いつも反論の余地を与えぬほど、正論を主張するからだ」
ラインハルトの述懐が、ヒルダの脳裏に、ある映像を結ばせた。正論だけを文章として彫り込んだ、永久凍土上の石板。その正しさは十分に承知されながら、誰もが近づくことを拒む。幾世紀かが経過して、後代の人々は無責任に、称揚するかもしれない。
(解説)
正論を言う人はなぜか嫌われる。正論とは正しい論であり、「道理にかなったたらしい意見や議論」のことである。正しいことを言っているから問題はないと思うのだが、反論できないからむかつく。要するに、事実であり真実なのだが、感情がひたすら煽られる。しかも間違いに対して頭ごなしに否定される。つまり、受け取り手は自分が攻撃されていると思うわけだ。
そんなときに必要なことは、正論を言う方は、あくまでもアドバイスである、というスタンスを取るのだ。決して上から目線、高圧的ではならない。そっと伝えるということだ。間違えても「お前は間違っている」と言うような言い方をしてはならない。SNSにはそういう言動をとる人多いけどね。
言い方としては、「こんな考え方はどうかな」「こういう考え方もあったりするんじゃね」と言う言い回しである。正論は、意志をぶつけられるような感覚だ。だから、正論を言うときに「これからボール投げるよ、受け取ってくれ」と言う、いわゆるキャッチボール感覚で正論を投げると良い。あくまでも議論ではダメだ、言葉のコミュニケーションをとるのだ。
言葉は一度投げてしまうと、帰ってこないことがある。言い直すこともできない。相手が受け取りやすい言い方をすることを心がけよう。相手が受け取るモードになれば、納得もしてくれる。断定的な言い方も避けよう。
(教訓)
〇正論は正しいことを言っているのだが、受け取り手は攻撃されたと思うからむかつくのである。
〇言葉のキャッチボールのつもりで、正論をアドバイスとして投げてみよう。受け取り手に心の準備ができていれば、それを受け止めてくれる。要は言い方である。