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未熟こそビジネスの原動力である

「わたし、フレデリカさんに失礼な質問をしたことがあるの。ヤン提督のどこがお気に召したんですかって。そのときのフレデリカさんの誇らしげな表情ったらなかったわね。答えはこうだったわ、あなたも、与えられた責任を果たそうとする男の人を目前で見てみたらって」
カリンの視線は、美術品の真偽を鑑定しようと試みるように、ユリアンに注がれている。鑑定の対象は小さく肩をすくめた。
「はたさずに済むなら、そうしたいよ。でも誰も代わってもらうわけにもいかないしね」
自分は未熟なんだから、と言うのは実はとんでもない過大評価なのかもしれない。成熟しきった才能で、この程度が限界なのかもしれないのである。
「あんたが自分が未熟だと思ってるらしいし、またその通りなんだけど、未熟を恥じることはないわ。私なんか未熟を売り物にして、結構快適にやってるわよ」

(解説)
シェーンコップの娘であるカリンとユリアンの会話である。フレデリカの言葉を一言で表すと、「与えられた責任を果たそうとする男は魅力的だ」ということだろう。男女によって、それは違わない。それ故、以下のように言い直す。「与えられた責任を果たそうとする経営者は魅力的だ」。経営者は一般の従業員でもそうだが、与えられた責任の大きさを考えれば、やはり経営者であろう。サラリーマンはどんなに頑張ったところで、責任の取りようは、どんな失敗をしたとしても減給か解雇である。会社の経営者は、失敗して会社が倒産でもしようものなら、負債全部に対して責任を負わなければならない。もちろん、全部借金を返しきれるかどうかは別の話である。逆に言えば、与えられた責任を果たそうとしない経営者はダメ経営者としての烙印を押さずにはいられない。

ユリアンは自分が未熟であるという事すら過大評価であって、成熟してこの程度が限界かもしれないといっているが、とんでもない謙遜である。そもそも自分が未熟であることに気づき、謙虚でいられること自体が素晴らしい。守銭奴経営者のように、自分は成功者だぜ、くらいに威張り切って、会社を私物化している野郎がいる。こういう人間こそ、成熟してこの程度なのだ。

それに対してカリンは、未熟を恥じることはない、未熟を売り物にして快適にやっているという。快適にできるかどうかはともかく、人間は神様でもあるまいし、未熟の塊である。だから失敗もする。死ぬまで成長である。それでよいのである。未熟なのだから、それをサポートしてくれる、支援者が現れる。そのようにビジネスの輪が広がっていった方がより拡大できる。未熟者の集まりが、大きなことを成し遂げるのだ。それがビジネスだ。未熟だと思うから、みんなで協力し合えるのだ。それこそがビジネスの原動力である。

とはいえ、精神的に未熟な奴は、どうやってもサポートしてやれない。

(教訓)
〇与えられた責任を果たそうと経営者は魅力的である。
〇未熟だからこそ、支援者が現れる。未熟な支援者たちの集団が、大きなことを成し遂げる原動力になる。

この記事を書いた人
経営学博士。経営学は座学より実学をモットーに大学院在学時より、サラリーマンで修業。一部上場企業の財務、メガバンクでの不良債権処理、 上場支援、上場後の投資家向け広報、M&A、事業承継等を経験。 数千の経営者と身近に接することが多く、数多くの成功例や失敗例を見てきた。 一人でも多くの成功者を輩出することが自らの天職と考え、現在は独立し、起業家に対して、ファイナンスやマネジメントまわりのサポートを行っている。 起業家モチベーター。
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