「君にとって必勝の戦略とはどういうものかね。後の参考のために、ぜひ伺っておきたいが」
「敵に対して少なくとも6倍の兵力をそろえ、補給と装備を完全に行い、司令官の意思を誤らず伝達することです」
・・・
「勝敗等というものは、戦場の外で決まるものです。戦術は所詮戦略の完成を技術的に補佐するものでしかありません」
「中々に達見だが、すると君たち軍人の戦場における能力は問題にならないのかね」
戦略的条件が万全に整備されていたならあほうでも勝てる、そう極論しようとして、ヤンは流石に表現を選んだ。
「戦略的条件が互角であれば、むろん軍人の能力は重要です。ですが多少の能力差は、まず数量によって補いがついてしまいます」
「戦いは数でするものではない、とは考えないのかね」
「そんな考えは、数をそろえることができなかった者の自己正当化に過ぎません」
・・・
「少数が多数に勝つというのは異常なことです。それが目立つのは、正常人の中にあって狂人が目立つのと同じ理由からです」
(解説)
同盟のトリューニヒト国防委員長とヤンの会話である。
経営者や営業部長は、会社の用意した商品を売るのは営業の能力の問題と考える。しかし、ブランド力のある会社で、顧客満足度の高いと認知されている商品を販売すれば、正直言おう、「あほう」でも売れる。あほうでも売れるのであれば、営業の能力はそれほどいらないのか。実際はそうだろう。ブランド力がなくて、顧客満足度が高いと認知されていない商品を、優秀な営業が売るよりも、ブランド力があって顧客満足度が高いと認知されている商品を大して優秀でない営業が売った方が売れるのが現実というものだ。
もちろん、ある程度のブランド力があっても確実に売れるわけではなく、それを売るのが営業の力量であることは確かである。
営業は商品の差ではないと考えないのか、と経営者や営業部長が何といったところで、ブランド力がないものを売るのは容易ではない。まず会社がやるべきは、その商品の広告宣伝をして、ブランド力を高めるということだろう。それだけの営業に対するサポートができないのなら、営業の能力をとやかく言うのはやめておけ。その前段階の問題である。営業に責任を押し付けるのは、お金や能のない経営者の自己正当化にすぎない。
(教訓)
〇会社がやるべきことは、売りたい商品のブランド力(消費者への認知度)を高めること。営業の能力をとやかく言うのは、その後の問題だ。
〇経営者の能がないのを、従業員のせいにするな。